だれにも関係のないところ
焦る。音楽を聴かなくなった。音楽を聴きながらする仕事がなくなったから。本を、読めなくなった。仕事がなくなったから時間なんてたくさんあるのに。「仕事がつらい」と、訴える友達を慰める言葉を見つけられないでいる。「仕事があるだけ羨ましいよ」という言葉は八つ当たりだとわかっているし、そのことを言うつもりはない。うそがこわい。だから何も聞かないでくれるのがありがたい。このまま職を見つけられなかったら、と具体的な未来を創造できるくらいには世の中にはたくさんの情報が満ちている。時間は止まってはくれないから、出来ることをしなくては。できることからしていこうと、何度自分を励ませばいいのかわからない。
失業手当の書類や面接の結果、職業訓練の合否通知を一刻も早く、と焦る僕とは違うところで、僕とは違う時間をみんなそれぞれ生きている。そんなことは理解している。ぼくのこの、焦燥感と他人の時間の使い方は関係ない。書類だの通知だのはちゃんと届くことも知っている。だけど。合否の結果や今後の身のふり方がわかっていないと、どうしても不安で。意味もなく何かに気持ちが急かされている。
気が遠くなるほど一日が長く感じて、夜になると「今日も何もできなかった」と一瞬に感じてしまう僕の中の時間の定義もあいまいなのだから、これはだれにも関係ない。そして僕だって。何かの返事をするのが億劫な相手には、相手がどんな気持ちで待っているのか、待っていないのかすらも想像することなく、ただいたずらにそれを先延ばししてきた。
僕がどれほど焦ろうと、ぼくがどんな感情に苛まれようとそれは誰にも関係がなくて、僕の置かれている状況にさえも関係がない。
通勤できる場所を増やすためにもペーパー講習を受けて車を持つことを考える。でも、収入もないこの状況で?とも考える。今日も今日とてタイピングとExcelの勉強だけをしていて、本当にこのままでもいいのかと漠然とした不安に襲われる。やり切ってもいないうちから何を心配しているのかとか、やり切って資格を取ってから他の勉強をすればいいとか、わかり切っていることを改めて文字にしないと莫迦みたいな思考が止まらなくなる。だれか、と願わずにはいられないけれど、自分ひとりで何とかしていきたいと前向きな自分がいることも確かで。だれにも関係のないところ、僕しか知らない頭の中で何かを少しずつ変えられたらいい。
文字にして、嘘偽りなく記録していくことで少しは理性的でいられるだろうし、自分がどれほど甘えた思考を持っているのか見つめ直すことにつながると信じている。