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論文収集ライフが旧式デジタルで激変した話
はじめに
人文学系論文の収集において、「デジタルで変わったこと」を改めて認知するためには、過去との比較が重要になります。私が過去と比較するときには、大昔を過去とします。時間の流れがスーパーIT人材とは異なるからです。私にとってはTwitterも新世代の寵児です。YouTubeはニュースーパースター(New super Star) です。
したがって、この文章の題材も非常に旧世代の意味でのデジタル化を扱います。つまり、以前の私がデジタル化で感動したことをただただただただ書き留めておこうと思います。これは技術指南を目的としたnote(s)ではありません。
一つ目のメリット(彗星ではない)
まずは検索に費やす時間を大幅に短縮できたということです。人文学系の論文には、第二次世界大戦以前に出版された論文でも、一応読んでおきたいものというのが多々あります。こういったものはどのような言語の論文でも存在しています。その論文をイージーに何年のどの書籍に載っているかということを調べなければなりませんでした。総当たりで探す労力が,検索することで大体のあたりをつけることができました。最高でした。
二つ目のメリット(個体ではない)
次に部屋が綺麗になりました。今現在、収集した論文はPDFで保管しています。もし論文を紛失してしまった、あるいは山に埋もれてしまい掘り起こすことを諦めたとしても,PDFを読むことができます。最高でした。私は作業机の上にできるだけモノを置いておきたくないと思っているのですが,デジタル化して二窓で片側に論文のPDFファイルを置き,もう片側にテキストファイルを置いて自分なりのまとめメモにします。こうすることで,パソコンをモノで作業机に置くことができます。これも最高ですね。
三つ目のメリット(月にはいない)
昔の論文は取り組みの一環として、一枚の画像のPDFになっています。しかし、現在出版される論文はテキストデータを容易に読み取れるようになっています。そのため、大量の論文を読むときに,正確に読まねばならぬところのアタリをつけることができます。
これは自分の弱さを見せつける露出狂じみた告白となってしまうのですが、DeepLなどの翻訳ソフトも本領発揮できます。これは最高ですね。
まとめ(まandめ)
ここまで最新技術ではない、古びたデジタル化のメリットを挙げていきました。新しい論文の方が、上記のメリットを適応し易いのですが、古い論文ももちろん読まねばならぬ故、己の鍛錬は欠かさず精進いたすことが肝心であろう。うむ。
デジタルがない時代の論文執筆者たちがもしもデジタル化されたら(もしデジ)を読んでみたいなとふざけた次第です。