「自己紹介します」
在来線に乗って小倉で降り、そこから新幹線で一気に東京まで向かった。東京駅からJRや地下鉄に乗って帰る道は、今になっても覚えられずにいる。九州から東京へ帰るのは、既に5回目だった。
都内の実家で、3階に上がる。小学生の時に買ってもらった青い机は、濁り、汚れつつもずっしりと部屋の隅に設置されている。その上には九州まで持っていくのが面倒だった本が数冊乗っていた。
俺は木の椅子に座り、少しだけ表面をなでる。懐かしむような動作を、ひとりわざとらしくやったら、削れた部分が指にひっかかって痛かった。指の先を見ると、少々赤く傷になっているようだった。
ため息をついた。そして鞄に入ったパソコンをたちあげる。
開くのはnoteかWordだった。
卒業論文の構想は固まっていた。
文章にするのは面倒なので、ギリギリまでやらないでおこうと思う。
noteで、Wordで書いていくのは、研究テーマとは全く関係のない、架空の人々の物語だ。
俺の頭の中には、いつだって3人ほどの女性と2人ほどの男性がいてフラフラしている。彼らが勝手に動き、彼らは勝手に語る。
俺はそれを文字にして残す。
書いていて、なんでこんなこと習慣になったのだろうと思った。
賞に出そうとか、いい物語を書こうとか、
そういうことを考えて始めたわけではない気がする。
小学生の頃、夏目漱石を模倣して原稿用紙にひたすら物語を書いていく作業が好きだったのだ。
もちろん夏目漱石だけじゃない。そんな高尚な小学生ではない。
アダム・ブレードとかホリー・ブラック、キャサリン・ラスキーとかの、児童小説の方が好みだった。
とにかくたくさんお話を書いた。
文章だけじゃなく、表紙の絵も自分で描いて、親に笑われたっけ。
部屋の扉を閉め、窓をあけて煙草に火を点けた。
親に怒られるだろう。部屋に臭いがつくからと。
田中慎弥と村上龍と金原ひとみが好きになっていた。
サリンジャーとボードレールが海外だと好きだ。
昔の国文学だと、夏目漱石はそこまで好きじゃなくなっていて、
梶井基次郎が一番好きになっていた。
書く物語は、村上龍っぽくなったり、
金原ひとみっぽくなったりした。
田中慎弥っぽい文章にはならなかったが、
鏡に映る自分は、どこか彼に似ていた。
何も変わらない。
でも何か足りない気がする。
小学生の頃、書くだけで楽しかった。
今も書くだけで楽しい、はず。
でも「楽しいはず」と言い聞かせなければ、
何かが自分の中で崩れる気がした。
何が崩れるのか。
正体は分からずにいる。
これの正体が分かるまで、書くことはずっと続けてみようと思うし、
それに付き合ってくれる人が1人でも増えてほしい。
そうじゃなきゃ寂しい。
寂しがりやな俺は、書いて、書く手が疲れて、
Spotifyを開いたりする。
2018年、大学受験に惨敗し、東京から九州の大学に流れ着く。
読書が好きだったので、その延長線上で学術系の活動を仲間と始める。
ゼミ活動へも大学2年生の後半から参加する。
2022年に犯罪学×社会思想という感じのスタンスで「無差別殺人の犯人たちが求めた〈他者〉像」みたいなものを考え、卒業論文も提出。
研究は続けず、22新卒として就職をした。障害者雇用の万事屋として都内の企業に頭を下げて回っている。煙草の本数が増えた。
次を探している。今がずっとダメだから、ダメじゃない次を探し続ける。
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