ポー著『モルグ街の殺人』読書感想文
『遊び』
そのあまりにも有名な結末だけは以前から耳にしていた。結末を知っているが故に感想文に悩んだ私は、先日の信州読書会による雑談"『モルグ街の殺人』における画期的な形式"を拝聴し、宮澤氏による"結末ではなく、レ・ミゼラブルにおけるジャヴェールとデュパンの違いに注目せよ"、"世界初の推理小説の所以となったその巧みな構成に注目せよ"という言葉を頼りに、改めて本書を読み直した。
両者は共に、謎を解き犯人を突き止める、と言う点においては同じだが、ジャヴェールとデュパンとでは、その動機が決定的に異なる様に感じた。ジャヴェールは警官という立場であり、己の信念、正義感によってジャン・ヴァルジャンを追いかけているという印象を持つ。一方、デュパンはというと、その社会的身分も曖昧で、謎を解き犯人を突き止めることは、決して己の信念や正義感によるものではなく、彼にとってそれは純粋な"快感"であり、そして純粋な"遊び"なのだという印象を持った。彼が犯人を突き止め、追い詰める様子はジャヴェールのそれとは違い、クールでスマートであり、何より娯楽作品の登場人物として素直に格好良い。
(引用始め)
全ての競技の初めには遊びがある。すなわち、ある空間的、時間的限定のなかで、特定の規則、形式に従いながら緊張の解決をもたらすもの、それも日常生活の流れの外にあるものを作り出そうとする協定がある。ここでは、完成されねばならない目標、つまりかち得られねばならない結果というものには、ただニ義的な意味で遊びの課題の上に付け加えられる問題にすぎない。
(引用終わり)『ホモ・ルーデンス』ホイジンガ著 高橋英夫訳 p.223 Ⅳ遊びと知識
つまり、『モルグ街の殺人』において結末などというものは二の次であり、読者が主人公デュパンの思考というビークルに乗り込み、共にドライブし、"遊ぶ"事こそが、本書の醍醐味であり、推理小説を楽しむ事の真髄なのだという事を知った。
『ホモ・ルーデンス』によれば、謎問答をモチーフにした世界各地の民間伝承には、"時間制限があり命が賭けられる"、という共通の規則が見られ、この『モルグ街の殺人』においても、ル・ボンの冤罪による投獄からデュパンが事件解決へと動き出し、犯人と対峙する場面では机の上に拳銃が置かれる。以上の点から見ても、『モルグ街の殺人』は伝統的な謎問答の物語の規則にのっとりながら、推理小説という新たなフォーマットを編み出した、画期的な形式なのだと言えるのだろう。