森鴎外著『百物語』読書感想文
『百物語おじさん』
成金は俗世の刺激に飽き足らず、我々庶民には到底理解に及ばない遊びをやっているに違いない、という事実か妄想か定かではないこれらの噂話は、漫画や映画の世界だけにはとどまらず、現実社会でもそれと疑わしいものをよく目にする。気がする。
現代日本には、お金配りおじさん、というお化けが実在する。お金に困っている人をゼロにし、寄付文化を広めようとしている彼のその笑顔は、なんか不気味だ。そもそも、"お金配りおじさん"というネーミングセンスがヤバい。"桜を見る会"も中々香ばしい香りを漂わせてはいるが、両者は共に3周くらいして、もはや普通に聞こえるから怖い。
SNSを開いてみると、己の事情を恥じることもなくワールド・ワイド・ウェブに晒し、切実さを装ってはお金配りおじさんに金をせびっては群がり、うごめく数百万の魑魅魍魎がいる。その魑魅魍魎の数だけの、金くれ物語がある。その中に知人がいた事実は、私を中々素敵な気持ちにしてくれた。お金配りおじさんからすれば、この光景はどう映っているのだろうか。愉快なのだろうか、哀れなのだろうか。凡人には理解し得ない凄まじい興奮と快感があるのだろうか。その真意は定かではないが、本書に登場する百物語の主催者、飾磨屋を見た時に真っ先に思いついたのは、このお金配りおじさんの存在だった。
下駄を奪い合う庶民の姿が、金をせびる魑魅魍魎と重なった。そりゃ、そんな輩でひしめき合う船が川を渡っていたら、書生の様に橋の上から"馬鹿"と言いたくなるだろう。
結局、百物語を最後まで聞くことはなかった。たかが庶民がする怪談などよりも、その庶民をただ傍観する、という事に快感を覚えている変態成金がいる事実が怖い話、だとするのは中々粗末な解釈だろう。
終始傍観者としている飾磨屋は、確かに人を馬鹿にしている節があるが、飾磨屋を、そして百物語に参加していた輩をも傍観していたこの主人公も、やはり人を馬鹿にしている節があるし、この、人を馬鹿にする態度を傍観している主人公を傍観している私自身にも、人を馬鹿にしている節がある。
私も金は欲しいし、怖い話も聞きたい。
だが、こんなルサンチマンの"るつぼ"に惑わされる様な愚かな事は程々にして、このありきたりで平凡な、何も変わらない自分の生活を、平和に過ごしていきたいものである。