土用とは何か:暦篇
人生に迷うとき、占いを頼る人は少なくない。
タロットの回で、す~さんが、占いは
「命術、卜術、相術」と大別されるという話をしていたが、それぞれについて調べてみると…
この分類からすると、チノアソビメンバーは、す~さんが卜術(タロット)、林田社長が相術(顔相)、に親和性があることになる、ような気がする。
一方、後藤はここでいくと命術に一番親和性があるように思えるので、やはりチノアソビの3人はバランスよく分散されているのかもしれない。
とはいえ、占いに通っているわけでもなく、特定の推し占者がいるわけでもない。
友人が算命学の免状を持っているので、季節のお便りよろしく
「ようこちゃん、もうすぐ月天中に入るけん、大きな買い物も決断も今のうちね」
といった情報が入り、割とここだけはしっかり守っているレベルだ。
しかし、それとは別に、自他ともに認める神社っ子なので、朔日詣りや厄払いなど、割とお参りには気を遣う。
また、神社好きが高じて、毎年必ず神棚の更新と、暦を10冊ほど手に入れて、身近な人たちに配るという活動を勝手にやっている。
日本人は、無宗教と言いながら三が日には神社にお参りに行き、お正月は神社に行って「一年の計は元旦にあり」と「今年の抱負」を胸に刻み、おみくじを引く。クリスマスにはケーキを食べ、人が亡くなるとお寺さんにお願いする。
(もちろん、特定の宗教を信仰している方はこの限りではないが)
そうやって育ち、自分が大人になっても、この行為に特段の疑問を感じずに実行している人も多いのではないだろうか。
老荘回で、小西老師がちらっと言っていたが
「そもそも仏教では葬式の類は禁止されている」
という一説。
生まれてからのあらゆることは神事、しかし亡くなったときだけは仏事、という日本人が多く、色々とカスタマイズされて日常に溶け込んでいるのが、JAPANなりの神道や仏教なのではないかと思う。
つまり、「これが絶対というものはなく、その時々に解釈を加えてアレンジされてきたものが、現在も残っている」ということが日常にありふれていて、「それって本当ですか?」と問われたら、「本当だと思い込んでいる」自分がいるだけである、ということは想像以上に多いのではないかと最近しみじみ思う。
とはいえ、信じてきたものを全否定するのもなかなか大変であり、一人の人間が、意識の有無はあれどつむいできた生活もまたひとつの歴史であると考えると、「わたしはこう思ってやってきた」さえ言語化できたなら、他者にどうこう言われる筋合いもなければ「あなたはそう思うのね」でいいことも多々あると思いたい。
と、枕が長くなったが、今日はそんな後藤のお守りのような「暦」から、現在入っている「秋の土用」について少しだけお伝えしたい。
暦のあらまし
まず、後藤は暦の研究家などではないので、どこかに書いていることを再編集しているという前提をさせていただいたうえで。
(暦は出生タイミングなどに拠らず、偶発的でもなく、相によるばらつきもなく、等しく誰しもに同じように開かれた統計学のような気がするため、長年親しんでいる、というレベル)
暦には、二十四節気(にじゅうしせっき)、雑節(ざっせつ)、六曜(ろくよう)、選日(せんじつ)、干支(かんし)など、複数の切り口でその日に気を付けることなどが記されている。
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