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思い出の曲 ~移民の歌

※全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです。

レコード&昭和プロレス愛好家のゴベと申します。

noteのお題企画に「思い出の曲」というテーマがありました。
「そんなの、死ぬほどあるに決まってるじゃん」と思いつつ、考えてみたところ、浮かんできたのがこちら。

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LED ZEPPELIN
『Immigrant Song』 7" (P-1007A)


"移民の歌"の邦題で知られる"Immigrant Song"。
画像は国内盤7インチ(定価400円)。B面には"Hey, Hey, What Can I Do"が収録されてます。

言わずと知れたLED ZEPPELINの大名曲ですが、個人的にはブルーザー・ブロディの入場テーマ曲という位置付けです。カンパニースリーブにブロディのシールを貼ってますからね。
(中学時代に買ったプロレス雑誌の付録です)

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オールタイムフェイバリットレスラーであるブルーザー・ブロディの試合を初めて生で観たのは、1984年8月24日。
全日本プロレスの栃木県体育館大会(栃木県宇都宮市)のメインでスタン・ハンセン、クラッシャー・ブラックウェルと組んだブロディは、ジャイアント馬場、ドリー・ファンク・ジュニア、阿修羅・原と対戦。ハンセンが原をウエスタン・ラリアットからの体固めで仕留めた記憶があります。

この日は生涯3度目のプロレス観戦。
父親に連れられてマッハ文珠がメインを張っていた時代の全日本女子プロレス(1976年)を幼少期に観たことがあるけど、自分の意思で観に行ったのはこの年の6月10日に小山ゆうえんち(栃木県小山市)で開催された全日が初めてでした。

ということで、2度目の全日観戦となった栃木県体育館大会。
中学1年だった私は、プロレスファンの同級生2人と副担任のO先生に声をかけました。先生もプロレス好きだったので。

当時の全日は物販でグッズを購入すると、ジャイアント馬場にサインをもらえたんですね。「どうしても馬場のサインが欲しいが、所持金が足りない」という同級生Kの為に、欲しくもないであろうTシャツを購入したO先生。馬場からサインをもらって大喜びしているKを優しそうに見つめていたO先生の表情が印象的で。

その際にO先生が購入したハンセン&ブロディのTシャツですが、後に私が譲り受けました。小さくてもう着ることはできないけど、今でも大切に保管してます。

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ただ、この日のエピソードはブロディの思い出ではあるものの、"移民の歌"の思い出とは言い切れないんですよね。

この時期、ブロディがハンセンと組んだ際に使用されたのは、ハンセンのテーマ曲である"サンライズ"、あるいは"移民の歌"と"サンライズ"を合体させたバージョンで入場していたはず。
合体バージョンで入場してきたような気がするんですけど、記憶が曖昧で・・・。

ちなみに全日時代の"移民の歌"は、ジャズドラマーの石松元によるカバーが使用されていました。このカバーがめちゃくカッコいいのでレコードを探してるんですけど、全く見かけません。


"移民の歌"の思い出として脳裏に焼き付いているのは、1985年10月20日の新日本プロレス小山ゆうえんち大会。5度目にして初の新日観戦です。

同年3月、ブロディが全日から新日に電撃移籍。もともと新日派だった私は興奮して、半年くらいブロディのことばかり考えていた気がします。

地方大会の対戦カードが事前に発表されることなどあるはずもなく、ブロディが誰と組まれるのか夢想しながら当日を迎えました。

この日は駐車場にリングが組まれた野外大会。
入場すると、物販に木村健吾(現・木村健悟)の姿が。自身が歌う『らしくもないぜ』というレコードの即売サイン会が行われていました。プロレスラーから直接サインをもらえるチャンスを逃すわけにはいきません。演歌もしくはムード歌謡と思われるレコードを買って、健吾さんからサイン色紙をいただきました。
不要なレコードを購入することになってしまいましたが、それでも生まれて初めて新日本プロレス所属選手からサインをもらったのですから、興奮するに決まってます。「今日は健吾さんを応援しよう」と決意。

ちょうどその頃、ケロちゃん(田中秀和リンアナ)によるアナウンスが鳴り響きました。カード発表です。健吾の対戦相手は、なんとブロディ。この瞬間、健吾を応援するという誓いがあっさり崩れ落ちたのであります(健吾、ごめん)。

待ちに待った第8試合(セミファイナル)。ベートーヴェンの"運命"に続いて、本家LED ZEPPELIN版の"移民の歌"が流れ、チェーンをぶん回したブロディが登場!

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憧れのブロディを至近距離で激写!
シャッターを押した直後、チェーンが目の前を横切り・・・。
マジで死ぬかと思いましたよ。
(この時、"移民の歌"が流れてたってことです)

ワンハンドのボディスラム、ドロップキック、ギロチンドロップで健吾を子供扱いするブロディ。
そしてフィニッシュはキングコング二―ドロップ。こんな地方の野外大会で二―ドロップを使ってくれたことに感激したことを今でも覚えています。

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1988年7月16日、プエルトリコでホセ・ゴンザレスにナイフで刺され、翌17日にこの世を去ったブロディ。
彼を超えるレスラーは今後出てこないでしょう。少なくとも私の中では。


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