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なぜ『ゴースト・オブ・ツシマ』は蒙古襲来下の対馬を舞台にしたのか

蒙古襲来は「ニッチ狙い」か

『ゴースト・オブ・ツシマ』は、2020年7月17日に発売されたPS4用のオープンワールド・アクションゲームである。アメリカの開発会社(サッカーパンチプロダクションズ)によって製作された、サムライを主人公とするゲームだということで話題を攫った。基本的なゲームシステムは、ごくオーソドックスなオープンワールドゲームだが、日本を(しかも一見して違和感のないごくまっとうな日本を)舞台としていることが、西洋風の食器に和食を盛るがごとき一種の新鮮味をもたらしてくれる。

 本作を日本版『レッド・デッド・リデンプション(RDR)』であるとの評も目にしたが、言い得て妙である。RDRで描かれた開拓時代に対してアメリカ人が感じる親しみは、『ゴースト・オブ・ツシマ』で日本人が感じるそれに近いものであるに違いない。

 疑問なのは、なぜ本作が13世紀の対馬における、蒙古襲来という出来事を取り上げたのかということだ。ふつう、我々のような歴史の素人が「侍」と聞いてイメージするステレオタイプな人物像は、戦国時代以降におけるそれではないだろうか。蒙古襲来は日本史上重大なモーメントではあるかもしれないが、そこで侍を描く意味とはなんだったのだろうか。単にあまり日本の時代劇でも描かれていない、「ニッチ=隙間」を狙っただけなのだろうか。

 実際に本作をプレイしてみると、主人公・境井仁が立ち向かう危機が蒙古襲来でなければなかった意味と、そして製作者の日本史に対する直観力の高さが浮き彫りに顕れてくる。結論を先取りすれば、武士としての倫理と、守るべきものとの間で板挟みになる境井の葛藤を描くためには、物理的にも精神的にも「外」からの脅威の存在が必須だったのである。

「サムライ対モンゴル人」の意味

 作品の冒頭、対馬はいきなり窮地に立たされる。火薬を用いた蒙古兵の奇襲により、対馬の地頭と、その甥であり本作の主人公である境井仁を除き、ほぼ全ての武士が根絶やしにされるのである。この時点で、境井は蒙古に抗うために手段を選んではいられないことを悟り、夜盗の女性・ゆなの導きも得て、闇討ちや毒物といった武士らしからぬ手段を用いて外敵に対抗していくことになる。そのことは、やがて主君である伯父や、鎌倉幕府の武士たちとの軋轢を生むことになる――これが『ゴースト・オブ・ツシマ』のあらすじだ。

 ここで翻って考えるに、もし舞台が戦国時代で、境井仁がある戦国武将の配下であったとしたら、どうだろうか。果たして蒙古襲来下におけるような葛藤は生まれただろうか。恐らくそうではない。なぜなら戦国時代における戦は、結局のところ「内」で行われたものに過ぎないからである。この場合、「戦争」という一見して何でもありに見える有事より更に大きな構造として、「武士としてのプライド」「大義名分」といったルールや倫理が存在している。だから、闇討ちだろうと、むごたらしい毒殺だろうと、何でもやってよいということにはならない。さもなくば、戦に勝っても信用を失い、支配を保てなくなりかねない。実際、明智光秀の敗北は、力における敗北以前に大義における敗北ではなかっただろうか。最後に笑った人間が、最も「武士らしい」人間だったとは思わないが、少なくともその体面を保つ立ち回りに成功した人物だったとはいえよう。

 ここまで記せば論旨は明らかだと思う。境井仁の中に武士としての自分と「冥人」としての自分との葛藤が生じるためには、異国からの強襲という動機がどうしても必要だったのだ。蒙古兵の長であり、本作のラスボスであるコトゥン・ハーンは冒頭から、対馬武士の堂々とした一騎打ちの名乗りを無視し、不意打ちで火だるまにした挙句、切り殺してみせる。この時点で、蒙古とは侍のルールを全く顧みない相手だということがわかる。だからこそ、それに対する境井も侍のルールを超えたところで戦うことを求められたし、あくまで「武士の誉れ」にこだわる伯父の姿は因循なものに映る。

 なぜ蒙古襲来なのか、という答えがここにある。日本の歴史を通じて見るに、大政奉還以前、対外戦争の機会はごく限られていることに気づく。戦国期の対外戦争といえば文禄・慶長の役があるが、日本が大陸側を攻めた戦争であり、いまひとつ境井における「民を守る」というようなヒューマンで等身大な行動様式とはかみ合わない。倒幕期にも藩レベルで外国との戦闘はあったようだが、小競り合いの域を出ない。そうすると、サムライの「」と「」との葛藤というテーマとばっちり噛み合うのは、蒙古襲来というモーメントしか考えられないことになる。

 『ゴースト・オブ・ツシマ』の製作者は、サムライの精神をリスペクトしつつ、まさに対外的な視点からその弱さをも捉え、ストーリーに落とし込み、蒙古襲来というこれ以上ない舞台を用意したことになる。いくばくかの考証上の欠点(その多くは考証の正確さよりもプレイ体験を重視したことにより生じたものだろうが)にもかかわらず、『ゴースト・オブ・ツシマ』が日本文化に対する深い理解に基づいてつくられた作品だと感じさせるのは、こうした鋭い洞察に支えられているからこそである。

 コトゥン・ハーンという「理解ある侵略者」

 対馬を襲う蒙古兵の指導者であるコトゥン・ハーンは、目的のために手段を択ばない、邪知暴虐を具現化したような人物でありながら、日本の文化と精神性を学び、主人公たちにも日本語で語り掛ける、いわば日本に対する侵略者兼理解者として描かれている。また戦場では武士道をあざ笑うかのようなふるまいを見せる反面、捕らえた境井の伯父を丁重に、対等な武士として扱い、その心理的態度を称揚する。このことは、『ゴースト・オブ・ツシマ』が基本的には征夷譚でありながら、決して排外的なものではない、一種の国際感覚をもって描かれているものであることをさりげなく示している。

 ひょっとすると、アメリカ人である製作者は、この「理解ある侵略者」であるコトゥン・ハーンに、自らの姿を重ねたかもしれない。そこには「和の精神」が自らとは相いれないものであると認めつつ、尊重するべきものとする温かい眼差しが見て取れる

 アメリカ人が日本の歴史を取り扱った作品を世に出すにあたって、海外の一部ネット世論では(ネットの常として、それがどの程度の「一部」なのかはわからないが)、このゲームが他国の文化を弄ぶものであるという非難が上がったそうである。確かに我々は(というのは人類一般は)、自分の属するものとは違う文化を単純化し、ステレオタイプ化された「異国情緒」として消費しがちであるし、そのことが異文化理解をかえって妨げる場面がないではない。しかし、西洋の人々がサムライ文化を扱うことそのものをもって、「異文化の嘲弄」であるとするのは行き過ぎである。それこそ、「異文化を真に理解し、尊重することなどできない」という浅薄で性悪説的なペシミズムに基づいた批判だと言わざるを得ない。自分の生まれ育ったものとは違う文化を理解し、尊重することはできる。少なくとも『ゴースト・オブ・ツシマ』はそのはっきりとした証左だと私は感じる。ともすれば彼らにしか描けないような時代劇を描写してみせたのだから、なおさらである。

 コトゥン・ハーンは境井仁に試練を課し、信念のアップデートを促した。外からの力は、個人に、そしてときには社会に変革を促す。サッカーパンチプロダクションズの狙いは、それと平行する意味において、既存のサムライ像、ひいては日本像に一石を投じることであったかもしれない。だからこそ、『ゴースト・オブ・ツシマ』は作品の内外において、国際化の物語として受け取ることもできるのだ。

 蛇足かもしれないが、いつかは海外のスタジオに、現代日本を舞台にした圧倒的物量のオープンワールドを作ってほしいものである。そこにはきっと、見慣れているが、見たことのない日本、新しい日本の風景が広がっているであろうから。

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