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労働から逃げる ベトナム南部より

僕は2ヶ月前に、高校、大学と順当に進学し、新卒として入社した会社を辞めた。
そして今はベトナム南部の人口16万そこそこの地方都市に住んでいる。
あの、スーツをびしっと着こなしたビジネスの世界から、一転して半裸のおっさんが道端で果物だのなんだのを売り散らかしている国にやってきたのだ。

正直、日本と比べるとベトナムの衛生状態は天と地ほど違う。道も家も店も、総じて汚い。街を歩けば、様々な種類の「悪臭コレクション」が鼻腔を刺激する。
だが、不思議とここは居心地がいい。
それは労働のルールが、日本とは違うからだ。
店員は基本、飯を食ってるか、スマホをいじっている。
病院の看護師に至っては、タピオカをズルズルしながら薬を処方してくれる。
彼らの健康で文化的な最低限度の生活は、労働によって侵されることがないのだ。
サラリーマン時代、僕は生活を切り捨ててまで、労働に奉仕していたと今になって気づく。
本当の意味で最低限の生活が守られている人々には、自然と余裕が生まれる。
彼らは店先にテーブルや椅子を引っ張り出して、友達を呼んでダラダラとお茶を飲みながら、店番そっちのけで駄弁っている。
過労死という言葉はこの街では聞いたこともないだろう。

そんな環境に身を置いていると、ふと
「労働って、そもそも何なんだ?」と考えるようになった。
なぜ僕らは、過労死だの鬱だのと戦っているのだろう?
というか、なんで僕らは大学に行ったんだ?なんで「普通に」就職したんだ?
それって本当にやりたかったことだったのか?
結局、僕らは世間の風潮に流されていただけなんじゃないか。
勤労の義務。勉強して立派な大人になりましょう、社会に役立ちましょう、税金を納めましょう。
こういった学校教育にすっかり洗脳されて。メディアも同じだ。無職の人間が無差別に人を刺しただの、引きこもり特集だの、働かない奴は社会の落伍者だと、騒ぎ立てる。

「社会から脱落してはいけない」
これが、僕らの原動力だったんじゃないか。

僕らは誰かに操られている。
そこまでは言わないけど、この資本主義社会では、僕らは労働に精を出すことでしか社会に貢献できないように思わされているんだろう。

本当にすべきことは、資本主義に乗っかって資本をかき集める側に回るか、それとも社会の枠から抜け出して、楽しく生きる方法を模索するか、この二択だったんじゃないか。

今、楽しい。いや、腹は壊しているし、身体の至るところが悲鳴を上げている。
巨大ゴキブリやネズミと、仁義なき戦いを日々繰り広げているけど、それでも楽しい。
愉快だ。
でも、ふと気づく。
僕は資本主義社会で敗戦国・日本に生まれた人間だ。支配していた中国やフランスを追い返し、アメリカにだって戦争で勝った社会主義のベトナム人とは違う。
僕の心には、常に「働かねばならない」という枷が付いている。好きに生きようと決めたのに、その枷は僕を離さない。

「働かなければいけない気がする。」

これは呪いだ。ベトナムの物価は日本に比べて安い。貯金が尽きるまでまだまだ時間がある。
それでも、焦る。焦りまくっている。仕事が欲しい。そう、仕事が欲しい!誰かに飼われたい!この奴隷根性がどうしても抜けない。
本当は、働きたくないはずなのに。
自由な時間ができた途端、人間の本性が暴れ出す。後乗せでたどり着いた思想を飛び越え、幼少期から深く植え付けられた奴隷根性が芽を出す。
このベトナム生活は、僕が健康で文化的な最低限度の生活を送るために、植え付けられた資本主義の呪いを根こそぎ断ち切るための物語なのだ。

ダラダラ書きましたがベトナム生活の日記帳というかメモ書き程度に書いていこうかと思ってます。

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