犬を食べてみた ベトナムの犬食文化について
※注意
この記事はベトナムの犬食文化について書いてます。露骨な画像等は掲載していませんが、苦手な方はお気をつけください。
ベトナムには犬食文化がある。
誤解を避けるために、最初に断っておきたいのは、ベトナムの全ての人々が犬を食べるわけではないということだ。
日本と同じように、犬は多くの家庭で愛玩動物として大切にされているし、特に若い世代の中では「犬を食べるなんて考えられない」という人が多い。理由はシンプルで、「かわいそうだから」と。それは至極まっとうな意見だろう。
実際、ベトナムで犬食は過去のものとなりつつある。今では市場で堂々と犬が売られている光景を見かけることはほとんどない。犬肉を提供する店は、街の路地裏でひっそりと営業している。
僕がベトナムでお世話になっているユンおじさんは、犬肉が好物らしい。
だが、家でそれを食べようものなら、息子や娘から厳しく非難されること必至だ。
だからユンおじさんは、「日本から来た友達にご馳走するんだ」と言い訳をしながら、僕に犬肉を振る舞ってくれたのだった。
僕だって、犬を食べることに全く興味がないわけではない。日本では絶対に経験できないことだし、これも一種の「食文化」だと思ったからだ。僕は人生で色々な肉を食べてきた。牛、豚、鶏、羊、山羊、猪、鹿、熊、ワニ、ラクダ、カンガルー。枚挙にいとまがない。しかし、なぜか「犬」と言われると急に気持ちが引ける。グロテスクだ。命は平等だと思っている。牛や豚の肉を罪悪感なく食べることはできる。でも犬だけは、なぜか違う気がする。
犬肉と付け合わせにハーブが食卓に並べられた。見た感じ普通の肉だ。何も言われなければまさか犬とは思わないだろう。
僕は恐る恐る箸を取った。
焼き加減が絶妙な犬肉、表面はカリッと焼けて香ばしく、ハーブの爽やかな香りが漂う。どうやら、これがベトナム式の食べ方らしい(地域によって食べ方はさまざまだと思う)
正直、僕は心の中で「頼むから不味くあってくれ」と願っていた。もし不味ければ、それが逆に罪悪感を薄めるだろうし、犬肉を食べたことを自分なりに納得できるかもしれないからだ。ところが、口に運んでみると、脳は素直に反応した。「美味い」。
羊肉に似ている。赤身が濃い、肉質のしっかりとした味わいに、上質なこってりした脂が絡みついてくる。羊肉に似た臭みがあるが、羊肉より臭みは弱くむしろ香りが引き立っており良いアクセントになっている。それに加えて味付けに使用されているカレーパウダーのようなスパイスの刺激的な香りが鼻をつく。付け合わせのハーブはこってりした口の中をさっぱりとさせてくれる。
これは「ゲテモノ」ではない。明らかに、しっかりとした「料理」だ。犬食という文化がここに息づき、過去の料理人たちが犬肉を美味しく調理する方法を模索し続けてきた成果が、ここに凝縮されているのだろう。
悔しいが、美味い。確かに美味い。
夢中で食していると昔、実家で飼っていた犬のことがふっと頭に浮かんだ。罪悪感が湧き上がる。だが、美味いものは美味い。それを否定できない自分がいる。
別に犬肉を食べる必要はないと思う。牛、豚、鶏これらの三大家畜で充分なはずだ。
でも、この犬肉の味が今後消えていくことが少し寂しい気もする。
一皿の料理がこんなにも多くの感情を呼び起こすことがあるだろうか。間違いなく、この味は生涯忘れられない。
食をエンターテイメントとして捉えるなら、この一皿は「究極の美食」と呼んでも過言ではないかもしれない。
犬食文化に色々な意見があることは重々承知しているが犬肉を一緒につまみながらベトナム焼酎で乾杯していたユンおじさんはとても嬉しそうだった。