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君何処にか去る 第五章(2)


 
「おたくは、椎名麟三のほかにだれを読んだ。サルトルやボーヴォワールは」
「さっぱり面白くなかった。登場人物がみな軽い。生きていくうえで、何の参考にもならなかった。二人の作品のなかで面白いと思ったのは、ボーヴォワールの『人はすべて死す』だけだ。あの作品では、不死の主人公に歴史を担わせるという力業が見事に発揮されていた。されど、実存主義作家のなかでは、カミュが断トツだな。『異邦人』や『ペスト』は、いま読んでも面白い」
「おたくも先ほど使ったが、当時、不条理という言葉が流行った。きよう、ママンが死んだ、なんてね。おたくのサルトルやボーヴォワール対する評価は、辛すぎるようだ。案外、読みこなしていないのじゃないか」
「それはある。好みの問題だから致し方あるまい」
「わたしはノンポリ学生だった。マルクス主義や実存主義を敬して遠ざけた。それでも、修羅場をくぐったような顔をしていまも生きている」
慚愧ざんきか」
「そんな言葉も流行ったな」
「俊雄さん、そんな生き方で批判されなかったか」
「された。尖鋭マルキストに徹底的に批判された。ところが……」
「ところが、卒業してわずか数年後、尖鋭マルキストはどこかへ消えてしまった、と言いたいのだろう」
「そうだ。酷いのになると、生まれたときから保守主義でござるといった顔つきで、活躍し出したのがいる。彼のエッセーには、連中の誤りはこれこれしかじかだった、なんて臆面もなく書いてあった。まさしく、おたくの言う万物流転だ。人も物もみなわる」
「うむ」
「フランス文学では、行動派作家として、アンドレ・マルローの人気が高かった。わたしのような凡人には、雲の上の人だった。何せ、やっこさんはスペイン戦争に参戦したのだ」
「うむ。マルローには、ド・ゴールとの対話集『倒された樫の木』というのがあった。じつに知的な対話だった。この国の政治屋どもが束になってかかっても、ド・ゴールの知性には勝てぬ。二人には叡智があった。マルローの作品のなかでは、『人間の条件』がいい」
「実存主義の哲学はどうだ」
「椎名麟三の暗く救いのない小説に触発されて、ハイデッガー、ヤスパース、ベルジャーエフ、シェストフなどを読んだ。どれも、感心しなかった。ほかにも、ガブリエル・マルセルとかメルロー・ポンティとかの名をよく目にした。儂は手を出さなかった。総じて、西洋哲学は分析過多だ。たとえばだ。どのページでも同じことだが……」
 無明は座ったまま後ろに手を伸ばして、書棚から一冊の文庫本を引き出した。
「狭いと便利だな」
「うむ。読むぞ。本質的にその存在において将来的であり、したがってその死について自由であって、自分において打ち砕かれて、事実的な<現>へと投げかえされることのできる存在者だけが、すなわち将来的なものとして根源を等しくして既在的である存在者だけが、自分自身に遺産として残された可能性を伝承しながら、自分独自の被投性を受け継ぎ、「自分の時」に対して瞬間的でありうるのです。本来的であると同時に有限的な時間性だけが、宿命といったもの、すなわち本来的な歴史性を可能にするのです……。全編、こんな具合だ。俊雄さん、どう思う」
「察するにハイデッガーの『存在と時間』だな。世界内存在云々の……」
「読んだか」
「否。国文はわびさびの世界だ。ハイデッガーの対極にある」
「次は、ベルジャーエフだ」
 無明は少し躰をずらすと、書棚からまた一冊の文庫本を引き出した。
「今度は、ベルジャーエフの何だ」
「『孤独と愛と社会』だ。昔は現代教養文庫というのがあった。読むぞ。ブーバーにおける「われ」と「なんじ」の関係は、人間と神との関係であり、聖書的問題である。ブーバーは人間的な「われ」の間の関係、人間から人間への関係としての「われ」と「なんじ」の関係を訊ねない。人間的複数を問わない。ブーバーには社会形而上学の問題、「われわれ」の問題一般が存在しない。「われ」「なんじ」および、「それ」が実存するばかりではなくて、「われわれ」も実存する……。これも全編、こんな調子だ。ハイデッガーよりも分かりやすいのは、おそらく翻訳がいいのだろう。おたく、どう思う」
「さっき、おたくが触れたマルティン・ブーバーが登場しているではないか」
「うむ」
「難解だな」
「そうでもないが、こうるさい」
二人とも疲れてきて、しばらく口を噤んだ。俊雄もまた何年ぶりかの知的な会話を楽しんでいる。


 
「読んで楽しかったものはないのか」
「儂は、横光利一をよく読んだ」
「おお。ついに、わたしの専門分野にきたか」
「おたくの専門分野か。そうだったな。儂のような門外漢が、横光についてあれこれ言うのは気が引ける」
「失礼だが、無明さん。謙遜はおたくに似合わない。それに気が引けているようには、とうてい見えない」
「儂の歯に衣着せぬ口調が、どうやらおたくに感染うつったな」
「おたくのは、それだけ伝染力が強いのだ。さて、おたくの横光論を聞こうか」
「横光と言えば、『旅愁』だ。横光は渡仏したがために、国粋主義者として帰国した。憧れのフランスへ行ったことは、横光にマイナスに作用した」
「『旅愁』の後半なぞ、どう収まりをつけるのか、作者自身が困惑しているものな。男は古神道。女はカトリック信者。昨今では、結婚の障碍になるとは思えないが、昔はシビアだったようだ」
 俊雄自身も、『旅愁』は三度読んでいる。西洋崇拝者久慈や日本回帰派の東野など、主要登場人物の名も憶えていた。が、いま読んで得るところがあるだろうかと思わぬではない。
「それゆえ、矢代も千鶴子も、この深淵にいかに架橋するかで苦しんだ。が、儂は、どうにも同情できぬのだ。矢代の愛情一つで何とでもなる問題が、いつまでも引き摺られていて……。横光は、新感覚派の旗手としての切れ味が鈍ったのではないか。矢代と千鶴子における宗教の対立のほかにも、西洋崇拝に対する日本回帰、西洋に対する東洋の精神性など、いくつかの対立軸がある。それぞれの信奉者が蜿蜒と議論するのだが、三十年後、五十年後の視点がないから、作品が現実の影響を色濃く受けた。マルローの持つ永遠を瞶める眼があれば、もっと異なる作品になったろうと儂は思ったものだ」
「無明さん、三十年後、五十年後の視点とは何のことだ」
「作家たるもの、自分の作品が三十年後、五十年後にいかなる評価にさらされるかの視点なくして書くな」
「そこまで意識せねばならないのかね」
「うむ」
「昨今、そんなことを考える作家がいるのだろうか。五十年後に読まれる作家なんて絶無だろうし、だれでも漱石や鷗外になれるものではない」
「文学とは志だ。志があるのならば、その志を述べよ。志が本物ならば、五十年の歴史に耐えられる」
「こうるさいことを言うものかな。近時の著作物なぞ、半年の寿命もないのだ。作者が心血を注いで書いた作品が、半年で忘れられる」
「心血を注ぐ注がぬは、作者の事情にすぎぬ。要は志が本物か否かだ」
「たとえば……」
「たとえば、丸山真男と鈴木大拙の関係を見よ。丸山真男は左だ。鈴木大拙は右だ。仏教者というのは、なぜかみな右だな。それはさておき、いま、丸山真男の『現代政治の思想と行動』と鈴木大拙の『禅と日本文化』を読み比べてみよ。いずれが時間による絶対の審判に堪え得たか」
「どちらだ」
「自分で答えを見つけよ」
「またはじまったな。社会科学は社会を対象とする学問だ。社会が変わってゆくにつれ、理論も変遷を免れない。だから、丸山真男の著作が古くなってしまったのは、致し方ない。一九六〇年の安保絶対反対が、いまでは日米同盟絶対堅持だからな。その点、鈴木大拙は人間の心を相手にしていればいい。おそらく、五十年の歳月を感じさせないのだろう。従って、大拙の著作の方がいまだに新しいのかもしれぬ」
「おたくはいい勘をしている。そのとおりだ。昔、丸山真男のアクロバティックな論述を読んで驚嘆したものだった。何と頭脳明晰な人だろうとな。が、いま読むと、内容が古い。時代が変わったのだな。他方、鈴木大拙のはいまも通用する」
「学問の対象が異なるゆえ、優劣を比較されては、社会科学は絶対的に不利だよ」
「経済学なんぞ一、二年前の論議が使い物にならない。しかし……」
「しかし、真理は存在しないものの、人間は神に限りなく近づける。ゆえに、作家はそのような志を持って書け、と無明老師は言いたいのだろう」
「ふむ。まだまだ。評点は下駄を履かせてようやく及第だ」
「そんなに低いのか」
「うむ。明日、函館の街を歩きながらじっくり考えるのだな」
「それもいいが、土方歳三の生涯を追懐したい気持ちもある」
「あの仁は刀が腐るほど人を斬った。儂は好まぬ」
「おたくはその点になると、殺生を好まぬ仏者になるのだな。たまに実力行使に出るようだが」
「儂が実力行使に出ることは否定せぬ。中山義秀なかやまぎしゅうに「月魄つきしろ」という短編がある。主人公の名が金四郎だ。儂は五稜郭の戦いと聞けば、榎本武揚や大鳥圭介、土方歳三らの華々しい戦いよりも、金四郎の孤独な闘いの方を思い浮かべる。フィクションが事実を凌ぐ一例だ」
「わたしも義秀は好きだよ。おたくは「厚物咲」よりも「碑」の方を好むのだろう。義秀愛読家のなかでは、「厚物咲」派と「碑」派に截然と分かれるそうだ」
「ふうむ。儂は言うまでもなく後者だ」
「はっはっは。そうだと思った。おたくの言葉で言うと、義秀には志があるのだな」
「ある」
「同人誌仲間の横光利一が若くして世に出たのに反し、義秀は出遅れた。ずっと不遇だった。それゆえにあの凄絶極まりない、しかし、なぜか読後感の爽やかな作品群が生み出される素地が作られたのだろうな。その間、横光は義秀を支え続けた。その横光にも転向の問題がある」
「俊雄さん、戦前から活躍した作家すべてに関わってくる問題だ。人間は本来的に自由を求める。その自由を抑圧する全体主義は、右からのものであれ、左からのものであれ、復活させるわけにはいかぬ」
「無明さんの全体主義とは、軍国主義や共産主義の謂いか」
「そうだ。戦前から活躍した作家は、両方の全体主義に対峙せざるを得なかった。さらには、軍国主義と上手におつきあいしないと殺される惧れもあった。あの時代、生き残るのは難しかった。しかし、おつきあいしすぎた例は多々ある」
「横光もそうだったと」
「うむ。『旅愁』の矢代の描き方からすれば、横光の国家主義は本物だろう。ゆえに、戦後、戦争協力者として、横光自身や『旅愁』は冷たい評価にさらされた。横光が戦後すぐに亡くなったのは、幸か不幸か儂には判らぬ」
「三十年後、五十年後の視点が必要な所以ゆえんだな」
「うむ。戦前、英米との戦争には勝てないと見通していた人間は、決して少なくはなかった。声を出せば、殴られるから黙っていただけだ。ゆえに、転向は日本の作家一人ひとりの問題だ。おのれの内部で解決するしかないのだ」
「無明さん、わたしは酔った。日中の疲れもある……。外はもう真っ暗だ」
「寝たいか」
「うむ。明日は、気分よくすっきりといきたい。もっと明るい話題が欲しい」
「そうしよう」
 俊雄は横になった。いつ寝入ったのか、いつ無明が後片づけをしたのか、いつ毛布をかけてくれたのか、何も覚えていない。

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