春は小蝿 2020.4.8
春は小蝿。なんて言い返したら、妻から百倍返しをくらいそう。暖かくなったものだからカブトムシの幼虫を飼育しているプラケースからコバエが湧いて、妻を狂わせている。緊急事態。奇しくも非常事態宣言と時を同じくして、急ぎコバエの出入りを防ぐフィルムを入手。ケースをシャットダウンした。やがてリビングからコバエは消えるだろうか。動向を見守りたい。封じ込めたケース内はどうなっていくのだろうか。こちらも見守るしかない。なお、片方のケースには、部屋に居合わせた元気なハエトリグモを入れた。続々と生まれるであろうコバエを、次々に食い尽くしてくれるに違いない。実は事態が発覚した後、フィルムが到着するより先に緊急対策として、先行して片一方のケースにはハエトリグモ作戦を導入していた。しかし効果を確かめるより先に事態が悪化し、フィルム作戦に移行せざるを得なかった。結果、片方のケースは併用とした。いずれも見守る。ちなみに大前提として、小蝿が原因で人も幼虫も死なない。ただし妻は著しく気分を損ね、結果的に家庭内に多大なる間接的ダメージが押し寄せることが判明した。そのための回避策だ。なおケース内で冬を越し、スクスクと育ち、丸々と肥えているカブトムシの幼虫も元気モリモリだ。もし仮に、小蝿が人や幼虫に被害を与えると判明したならば、僕は躊躇わずケースを屋外に出してバラし、幼虫の救出に全力をあげる。幼虫にとって一時的に甚大なストレスとなる腐葉土の全取っ替えも厭わない。観察と状況把握、見通しと判断。すべての前提となるのは愛情。それがなければカブトムシの幼虫だって飼えないだろう。大げさなものでもなく、当たり前の自然なことだ。そんなわけで、たぶん何もしらない幼虫は今日もケースの中で丸まっている。妻が機嫌を損ねることなく今後もカブトムシの幼虫と共存し、夏になったら元気でカッチョいい、ピカピカした立派なツノを生やした成虫に出会えると確信している。一方の人間界はどうなるだろう。無策や無謀から無力へと落ちていかないように、愛情が欠如しないようにと願う。仕方がないと最初から諦めていませんように。自分の身を、周囲の人たちを守らねばならない局面、お金が切れて死にそうな人たちに、今すぐ助けが必要な人たちに、あるいは医療現場の最前線で頑張ってる人たちに、アホな理屈や無理を強いるのだけはやめてほしい。ごだごだ言ってないでさっさとなんでもやったらいい。気持ち悪い駆け引きやズル賢い打算だけはやめてほしい。愛のない国になりませんように。できることをしっかりやっていく。ピカピカの夏がやってきますように。