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東日本大震災・原発事故後、放射線をめぐっておきた分断・差別①
東日本大震災、原発事故後、10年以上の時を経て、人々に起こった影響を長きにわたり、人々の語りの中で、そして調査の中で明らかにした研究・調査結果などが出ています。
東日本大震災の際に起きた原発事故により、多くの人々が家を離れなければならなくなり、その後、被災地に残った人々、避難者(強制避難者・自主避難者)の間でも分断が起こったことが明らかになっています。
また、避難者が避難先などで様々な差別を受けたことは、今でも私たちの記憶に残っているところです。
これらの分断、差別はどのように起こったのか、このことを理解することが、他者を排除することのない社会について考える一助となれば、そんな思いを込めて今回は書いていきたいと思います。
1.福島第1原発事故後の避難をめぐる経緯
2011年3月に東日本大震災が発生し、東京電力福島第1原子力発電所に津波が押し寄せ、全電源が喪失しました。政府は「原子力緊急事態宣言」を発令し、避難指示が出されます。
翌年2012年には、住民の立ち入りを禁じる「警戒区域」と「計画的避難区域」が決定しました。「計画的避難区域」は、5年以上戻れない「帰還困難区域」、帰還まで数年程度要する「居住制限区域」、早期の帰還を目指す「避難指示介助準備区域」に分けられました。
2014年から2017年にかけて、「帰還困難区域」を除く市町村で徐々に避難指示が解除となり、2017年の福島復興再生特別措置法改正後は、帰還困難区域の一部に居住可能な「特定復興再生拠点区域」を整備し、避難指示を解除する方法が定められました。2019年第一原発が立地する2町で初めて、大熊町の一部、2020年には双葉町の一部で避難指示が解除となりました。
2012年当時福島県の避難者は164,000人でしたが、2017年には8万人を切る半数にまで減少したと言われています。
2.原発事故によって作り出された分断
(1)居住し続けた人、強制避難者、自主避難者
強制避難者とは、居住地が、警戒区域など、避難区域に指定され、避難を余儀なくされた人々のこと、自主避難者とは、放射能のリスクやその他の理由で自身で避難した人々のことを示します。
避難指示が解除された後も、すでに避難先に移住したと考えている人、いずれは戻りたいと考えている人々など、将来への見通しも様々だと言います。戻れないと考えている人々は、安全性や生活環境、仕事、教育のことが理由であったり、戻っても家族友人がいない、戻るための経済的な余裕がないなどその理由も様々です。
「福島原発事故被災者 苦難と希望の人類学」によれば、著者のフィールードワークでの人々の語りをもとに整理された言説で、各グループの双方の人々が抱きがちな気持ちが記されています。
居住し続けた人々から強制避難者の人々へは、「避難指示が解除されたのになぜ戻らないのか?」また強制避難者から居住を続けた人々には、「故郷、人生を失った気持ちを分かってほしい」という思いがあるとしています。
居住し続けた人々から、自主避難者にはさらに厳しい目が向けられていて、「福島を捨てて逃げた人たち」「復興に貢献しない人たち」「放射能について気にしすぎる人たち」などの言葉が上がっています。逆に自主避難者から居住し続けた人々に対しては、避難したうしろめたさを感じながら、「なぜ避難を認めてくれないのか?」という思いがあると言います。
さらに強制避難者と自主避難者の間にも溝があるといいます。自主避難者から強制避難者に対しては「賠償金をもらって裕福に暮らしている人たち」という思いがあり、強制避難者から自主避難者へは、「避難する必要がないのに避難している」「風評被害を作っている」という見方があると言います。
同じ被災者の中でこのように分断ともいうべき状況が起こっていることは、被災の傷に加え、人々の心にさらなるダメージを与えていることは間違いありません。
また、「原発のことは忘れたい、考えたくない」と思う一方で、「原発事故のことを忘れてほしくない、風化させたくない」という、距離を置きたいのに、事故の影響から逃れることができないという相反する思いが心の中に存在し、葛藤を生んでいるという苦しい事情もあるといいます。
(2)当事者でない人々は避難した人々をどう見たか?
被災者が当事者でない人々の目にどう映っているかということについては、「被曝した人たち」という視線があり、これは広島や長崎の被爆者への視線と近く、この被爆者というスティグマは子や孫の世代まで及ぶ可能性もあると書かれています。避難先で、差別やいじめにあった人たちも、同じような形の差別を受けたという証言が多くみられます。
また、福島県産の農産物が「汚染されている」と敬遠されたのもこの点が影響しているものと考えられます。
3.被災した人々の精神的ストレス
災害後のメンタルヘルスで顕著なのが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)だと言われています。PTSDは戦争、災害、事故、犯罪、虐待やDVなど、自分または他人の生命の危機を感じるような精神的外傷体験により、強い恐怖と無力感を感じるという特徴があります。
フラッシュバックという本人の意思と関係なく、被害体験が繰り返し意識の中に侵入してくるという症状や睡眠障害、神経の高ぶりなど、これらの症状が長期化し、生活に影響が出ることも少なくないといいます。
IESーRという国際的にも広く用いられている、PTSDの症状の強さを測定する質問紙があります。この質問紙でPTSDの診断はできませんが、点数が25点以上になるとストレス反応が非常に強いと判断され、PTSDと診断される可能性が高くなるといわれています。
本書では、NHK(2020年はSSNとの共同調査)がIRS-Rを用いて行った調査で、「PTSDの可能性」の数値について、以下のような結果が出たと記されています。
2013年福島調査(2,425世帯対象) 64.6%
2015年全国調査(16,686世帯対象) 41.0%
2020年首都圏調査(4,255世帯対象) 41.1%
※NHKとSSN(震災支援ネットワーク埼玉)との共同調査
上記から、災害直後の数値の高さに加え、災害後9年を経過しても極めて高い精神的ストレス状態があることが示されています。
さらに、東日本大震災では、地震や津波の被害に加え、原発事故という人為的な災害がさらに深刻な影響を与えたのだと言われてます。事故の責任問題、不十分な救済など、心理社会的な複合したストレスが高いPTSD症状の要因となっている可能性があるといいます。
次回は、避難者が受けた精神的、社会的な苦しみ、生活について、より具体的に記していきたいと思います。
※参考文献