人は才能でできている

音楽、小説、エッセイ、漫才...そのどれもが好きである。もはや自分の生活になくてはならないものになりつつある。

誰かが作ってくれた曲を聞いたり弾いたりする。誰かが書いてくれた本を読む。誰かが作ってくれた漫才を見て笑う。作品を創作してくださる方々のおかげで楽しみや癒しを得られている。

新しいものを創作できる人を僕はほんとにすごいと思っている。どうやったらあんなフレーズが書けるのだろう。どうやったらそんなメロディーが思いつくのだろう。印象的な作品に出会うたびにこう思う。

言ってしまえばセンス、才能の塊なのかもしれない。そういう一言で片付けることは好きではなかったのだが、色々考えると最近はそこに落ち着いてしまう。

たぶん、人間は1人ひとりが才能の塊なのだと思う。その塊の構成要素は各々違っていて、(例えば)[A,B,C,D]の才能を持つ人、[A,B,O,P]の才能を持つ人、[D,H,R,X]の才能を持つ人、のようになっている。それぞれの才能は膜で覆われているため、磨くことによって初めて姿を現す。

誰もが才能を持っているのにも関わらず、いわゆる才能のある人/ない人が区別されるポイントは、[ある才能を磨く]才能を持ち合わせていたかどうか、あるいは[ある才能を磨く]才能を持ち合わせた人に出会えたかどうか。そして[努力する]才能を持ち合わせていたかどうか。なのではないかなと思うのです。

幼少期から天才と呼ばれる子達は才能を磨いてくれる大人と環境に早々に巡り会えた。。。大器晩成の人は努力する才能を開花させることができた。。。

超一流の才能を開花させ、世界で活躍できるのはほんの一部であることには変わりない。でも、各人は各人なりの才能を磨くことができるんじゃないかと思います。そこには自分だけでは磨ききれない部分が出てくる。だからこそ色々な人や作品に出会うことが大事なのではないかなと。思わぬところでキュキュっと磨かれるチャンスが出てくるかもしれないから。自分ではわからなかった気付きを与えてくれるかもしれないから。永遠の最終兵器として眠らせておくのはもったいない。

先日、ラジオで”誰とフュージョンしてみたいか”というトークが流れていた。自分ならどうするかな。クリエイティブな方としてみたいな(相手には何もメリットがないと思いますが笑)。星野源さんオードリー若林さん、有力候補です。


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