「世界でいちばん自由な学校」サマーヒル・スクール(Summerhill School)
先日、Twitterで「サマーヒルのニイル」についての話が目に飛び込んできました。
あぁ~~~~~!!!懐かしい思い出が、一瞬で色濃く蘇りました。
今から4年前の初秋、そろそろ小学校の準備が始まるという頃。
幼稚園の年長=5歳だった息子が「あのね、僕は◯◯小学校には絶対に行かないよ。先生が怒りん坊で生徒を縛り付けるんだ。僕は、自由な学校に行きたい。」と言い出しました。
あぁやっぱり・・・そうだよねと思った私。
一度きりの人生。特に幼少期は大事な時期だから後悔の無いように生きたいと考えていた私は、日本中の何処にでも引っ越すつもりで「自由な学校探し」をしました。
第一候補は「きのくに子どもの村学園」
まずは子どもをしあわせにしよう。すべてはそのあとに続く。- A.S.Neill -
創立者のニールは、子どもの役割は子ども自身の人生を主体的に、意欲的に生きることであり、『社会の強制・親の価値観・教育者の知識』を無理やりに押し付けられる事ではない(※1) という信念を持っており、知識の習得や成績よりも、子どもの幸福を最も重要視しました。そしてその幸福を生む大切な要素は、子ども個人に最大限の「自由」を与えることだと考え、その思想を実践した教育環境こそがサマーヒル・スクールでした。
引用元:サマーヒル・スクール A.S.ニール(Alexander Sutherland Neill)
・ サマーヒル
北海道から沖縄までどこにでも引っ越すぞ~!と思っていた私。
当時、母子移住して住んでいたところから近い場所にあった「かつやまきのくに子どもの村学園」を、夫と息子と私の3人でで見学することにしました。※南アルプスも次に見学予定。
山の中をのんびりと車を走らせて校舎に到着。駐車場の横にあった学校の名前が書かれた看板。陶芸が好きな息子は”良いな~”と見つめていました。
そうそう!以下の話は4年前の体験談。私のぼんやりした記憶ですので、今は違うかもしれないですし、思い違いや間違いなどもあるかもしれませんので御了承下さいませ。
確か・・・学校に入り「見学に来ました。堀先生はいらっしゃいますか?」と夫が声をかけると、先生が「ここでは先生とは呼ばず、◯◯さんと呼びます。堀さんは、未だ到着していないので(山梨から)こちらでお待ち下さい」と、教室に通されました。※校舎は廃校になった昭和の建物を買い取ったそうです。
廊下には、本がいっぱい。楽器や、創作物が沢山置いてありました。息子は廊下にあった鉄琴を使ってみたいと「かえるの合唱」や「メリーさんの羊」を演奏していました。
私達夫婦は、たぶん中学生が書いたのであろう掲示物を見て回りました。事前に調べた話では、修学旅行は自分たちで計画して行くのだとか。
見学者は、我が家を含め5組くらい。全員が集まったところで、ゆる~い雰囲気の見学会がスタートしました。小学生から中学生までが共同で利用するという校舎をぐるりと巡り、寮や体育館や校庭へ。
教室を見学中、授業中だけれどあちこちに子どもが好きなように過ごしているのを見かけたり、一緒に見学に付いて来たり。
寮の見学は、私には大きな衝撃でした。学生のほとんどが寮生活で、通う人はほとんどいない環境だそうです。毎週末に実家に帰る子も居れば、1か月に一度帰る子も。※うちは、近くにアパートを借りて車で送迎するつもりでした。
男女別室。一部屋6~8人。お風呂も洗濯機も共同。洗濯機を使う順番や掃除当番など、自分たちでルールを決めて全てやるそうです。未だ幼い一年生などは、高学年や大人がサポートすると伺いました。
朝起きてから、夜寝るまでずっとこの学校にいるのか・・・。
片付けるように促したり、お風呂に入るようにと大人が声を掛けることもしないのだとか。
「中学生くらいになると、何故か自然にやるようになるんですよ。」と朗らかな笑顔で仰っていました。続けて「2週間くらいお風呂に入っていない子がいたりしたら、さすがに「臭うぞ~」くらいは言いますけどね~」と笑っていました。
寮を見学した後、校舎の外へ。
この学校は、国語、算数などの教科が無くて全部「プロジェクト」なのですよ。ちょうど稲刈りの時期でしたので「農業プロジェクト」を例に、お話し頂きました。
田作り、田植え、草取り、稲刈り、そして食べるまでの”農業体験”を通して”国語・算数・歴史・地理・理科・英語など”を学ぶのだそうです。例えば、学校で暮らす全員が一年間ご飯を食べるには何キロの米が必要で、どれくらいの土地が必要か?などを計算したり、苗や肥料を買うお金をどう工面するのか?などありとあらゆることを考えて計画・実行する=プロジェクト。
道具の扱いや稲刈りの手順なども含め、全て子ども達が計画したり教えあったりしながら実施しているそうで、大人はサポートするだけ。口は出さないが意見はきちんと言うなど、子ども扱いしない。※当時は、他に料理や建築などのプロジェクトもあり一年を通して学ぶ選択制。
「本物」過ぎて本当に驚きました。見聞きするスピードに理解が追いつかず頭の中が大混乱していた私。
「給食の時間までご自由に見学して下さい」と一旦解散になりホッとしました。
ビオトープも、木で出来た建造物?創作物?も、子ども達の成果だそうです。みんなで育てているヤギも居ました。
あっという間に給食の時間になり、食堂へ。
給食はバイキング形式で、自分が食べたいものを好きなだけ取って(一応数は決まっている)好きな場所で、好きなように食べることが出来ました。
息子は、あっという間に皆さんの輪の中へ入って行き、自分で準備をして楽しそうにワイワイ食べていました。
その様子を見ていた私達のところへ、学園長の堀さんがやってきて一緒に給食を頂くことになり同じテーブルに着席。
夫が堀さんにあれこれ質問して私はそれを聞きながら食事をしていました。
そこへ、白いご飯だけを持って私の横に座ってきたお子さんが・・・ごはんに醤油だけをかけて食べ始めました。
「えっ!?ごはんと醤油だけ?他のおかずとかは食べないの?」思わず、声を掛けてしまった私。
堀さんは「美味しいよね~」と笑って言っただけで、また夫と話の続き。
「そ、そうか・・・これもアリなのか。な、なるほど~・・・」と納得した私は、給食を食べている子どもたちを観察しながら、ここに居る子ども達が育てたお米=ご飯なのだな。この給食も子ども達のプロジェクトの一部なのだったと思い出し、驚き、胸がつまった。
ずっと帽子を被ったままの子、独りで食べている子、本人がやりたいように過ごしていて・・・本当に自由なのだな。
そうか・・・それで良いのだな。それが良いのだな。
見学会が終わり、もちろん!息子は”自由で楽しそうな学校が見つかった”と喜んでいて、私達夫婦は「合わなければ辞めれば良いのだから、取りあえず通わせてみたい」と、意見が一致。
入学願書を送ったところ、電話が掛かって来てあっさり断られてしまった。
理由は、きのくにこどもの村学園の”あるある”体験からの偏見ではあるが、私達のような母子移住の通学希望者は、すぐに辞めてしまうからと・・・
お恥ずかしながら、お見通し=見透かされていたのです。お試しじゃなくて、本気じゃないとダメなのだなと猛反省しました。
そして「私達はどのように我が子を育てようとしているのか?子どものしあわせとは何なのか?」更に真剣に考えるきっかけとなりました。
あっさりと断られたおかげさまもあり、ホームスクールをすることも選択肢の中に入ってきてはいたのですが、未だその頃はホームスクールをしている体験談(ブログ)など情報が少なく、夫も「学校に行くこと」に強い拘りがありました。
何とかして息子が行ける学校を探さないと・・・
そして、見学の時に堀さんから「そういえば10年ほど前に関東で、きのくにこどもの村学園を見学してから創立した小学校がありますよ。ひょっとしたら、きのくにと似ているかも知れませんよ。」とチラッと教えて頂いたのを思い出し、早速問い合わせることにしました。
問い合わせたその学校は、きのくにの良い所を真似て創立したそうですが、10年経ち創立した当初の先生は全員居なくなり、全く別のものになっていました。※息子が入学すると同時に前校長が辞めてから分かったことです。あぁ~騙された!と私達は憤慨しました。
ちょっと横道にそれましたが、私達は腹をくくりホームスクールを選択しました。アンスクーリングをしようと思ったのも、これらの体験や経験があったからこそ。
今回、久しぶりに「サマーヒルのニイル」を思い出すことが出来たので、今一度”原点”というか”どうしたいか?”を考える良い機会だなと思っています。※最近はガミガミお母さんになっている私=反省。
まずは子どもをしあわせにしよう。すべてはそのあとに続く。- A.S.Neill -
次回は、それよりもっと前の体験=息子が2歳頃。「インターナショナルスクール」を見学した時の話を書いてみようかと思います。