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01100113 地のような現実に足をつける

0110
インターネットで注文した福袋が届く。
新代田にあるLIKE A FOOL RECORDSのレコードの福袋。(1/16現在も販売中)
備考欄に何となくの好みを書くと、店主の辻さんが出来る限りセレクトしてくれるうれしい方式。
リクエストしたスローコアとアンビエントの要素のある数枚が入っていた。そしてふだんの生活では出会わないであろうスウェーデンやアイスランドの音が届いた。北欧好きは語っていなかったのに思わぬつながり。単なる偶然なのか、ミニマムな音楽性が根付いているのか。よくわからないけどここちよい。


0111
半年前ぐらいに苔玉にしていたビカクシダから貯水葉らしきものが生えてくる。わたしがnoteを定期的に更新するようになった時期と重なり、半年の時間感覚になじみがあった。日記には時間経過と体感をフィットさせる効能がある。
貯水葉というのは名の通り、水をためこむ葉っぱで、地面(苔)から近いところで のぺーっと広がっていく。次第に包まったキャベツのようなフォルムとなる。
ビカクシダの葉は、貯水葉とそれとは別の役割の胞子葉が交互に生えるという本の記述を見た覚えがあるが、家に来てからずっと胞子葉が何本生えてきてて、半年越しの貯水葉おでましだった。植物もまた植物それぞれの育ち方がある。

貯水葉とみられる根元の丸い葉っぱ

0112
中華鍋で海老と卵の炒めを作る。
去年浅草橋の町中華で食べて感動して、ついに再現を試みる。
いろんなレシピを見ながらおいしそうな工程をつまんで組み合わせていく。
それなりにおいしいものができたけど、卵がぼそぼそした印象が残る。直近の卵料理でも似たような事象が起きて、はてどうしよう。
たぶんフライパンと同じようにしてはいけないような気配を感じる。
フライパンでは卵を先に炒めて皿に回収→具材を炒める→卵を合流で、ふわふわ感を残した卵炒めができていた。しかし中華鍋だと熱の伝わりが早く、軽く合流でもがっつり火が通ってしまうようだ。軽く飲みに誘われ行ったら、酒豪ばかりだったあの感じ。中華鍋に二度炒めは厳禁なのかもしれない。次回は一発で仕留められるよう順番に気をくばろう。


0113
午前中からお出かけする予定だったけど、寒さで断念。
昼、豊洲のカフェもできる本屋さんのSPBSに妻と行く。豊洲は何度か訪れていたけどSPBSにははじめて訪れた。ららぽーとの4階、病院などがたちならぶフロアを不安になりながら歩くと、奥にあった。気になっていた本、最近読んでいいなあと思ってた本、おいしそうなスコーン。カルチャーの泉が流れていた。
東直子さんとくどうれいんさんのトークイベントをめがけていった。
ふたりの共作『水歌通信』は発売日すぐに買って読了していた。短歌と散文が交じわっていて、浮遊しているような不思議な読感あった。
東さんが抽象的な思考や風景といったイメージをつくったのに対し、れいんさんがくらしの描写(献立とかドライブ)を足していくような役割をしたという話を聞いて、少し浮遊感の輪郭が見える。物語のなかのフィクションと現実をいったりきたりしていたのだ。そして地面があるからこそ、浮いている状態を自覚することもいえる。フィクションを浮遊していくには地のような現実に足をつけることも必要だ。
終了後にはサイン会もあっておふたりに挨拶やおはなしをして、また新年の感じをとりもどした。しかし外を出ると寒さが服の隙間から襲ってきて冬のリアルに一気におしもどされた。道中、向かい風で折りたたみ傘が脱臼するようにひっくり返ったけど、妻が冷静に風を読んで傘の向きを変えて、追い風で戻してくれた。飛んでいかないようしっかり地に足をつけて帰る。


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