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何故介護職、自己紹介、時給2000円

最近色々な人と会うことが増えてきて、何してるんですか?
と聞かれると

総じて人助け

と言ってかっこつけています。

説明が難しいのもあるし、説明だけで小一時間潰れてしまう(説明下手が故)。

・半月特養
・福祉系専門学校非常勤講師
・飲食店PR、ECサイト管理
・高齢者向け点心販売
・イラストレーター
・スケッターアンバサダー

まぁもう色々やっていて、格好良くいえパラレルワーカーってやつ。
困ってる人をみると、手伝いたくなってしまう。

介護は好き



でもそんな抽象的な話ではなくて、具体的に何故自分が介護の仕事についたのか、そして何故こんなに介護の仕事に夢中になったのかを考えてみる。

何故介護の仕事についたのか

理由その1
【セオリー通り、祖父母が大好きだった】

小さい頃から母方の祖父母によく面倒をみてもらった。

若干荒れていた自分、教師の親父、色々あって家を追い出される。

高校2年生の時に祖父が他界していた為、独り暮らしだった、祖母宅へ逃げそこから約10年の二人暮しとなる。
祖母は段々とぼけていき、家に帰るとお茶にリモコンが浸かっていることもあった。

本当に色々あったけど、とてもいい思い出。
今は祖母も他界してしまった。

理由その2
【電車に乗りたくなかった、スーツを着たくなかった、月30万欲しかった】
ホントに電車が嫌いで、乗ってる途中で気持ち悪くなったり、とてつもない便意に襲われることなんてしょっちゅうで電車通学の高校生活はすごく辛かった。
中学校の副校長だった親父、高卒は勘弁してくれとのことで介護福祉士養成専門学校へ入学。
祖母は家を出たがらなかった。
本当に古い作りの賃貸で、虫やらネズミやらは当たり前で、幻覚でなければフンコロガシまでみた!
そんな家でも出たくないという。家賃は10万円だった。
そんなこともあって月に30万は欲しいなと考えていた自分はペンキ屋さんになる気でいた。
電車もスーツも無しだってことと給料が問題だったのでそこをクリアするにはそれしか考えつかなかった!

専門学校卒業前の冬

ほとんどの生徒は勤め先を決めていた。
授業中よく寝てしまうこんな生徒を先生はよく面倒をみてくれたなぁ、等と感謝はしていた。
先生には介護の仕事はしないと伝えていた。
実習が本当につまらなかったし、形式的な業務で、1つ目の実習先に関しては実習担当と揉めた。
学校で、教えてもらったことは素敵だと思ったし、介護の仕事は魅力的だと感じたけど、実際は違う。
ましてや給料が安い。

ある日、先生が1枚の求人を持ってきた。
チャリンコでいける距離、
給料は…


「初任給手取りで27万ぐらいになる」と鉛筆で書かれていた。

結果、特養で働くこととなる。

なぜ介護の仕事に夢中になったのか?

入社後、何度戦いがあっただろうか。
10年働いてきたけど、数え切れない程戦った。

思い起こせば、中学生の頃

くるぶしソックスが出たての頃、くるぶしを出すことにやや恥じらいがある頃。

クソガキとしてはモテと見栄、履いてみたらビックリしたあの開放感、くるぶしソックスの虜になった。

がしかし、学校ではすぐさま、くるぶしソックス禁止令が出された。

すぐ校長室に文句を言いにいった。
「理由なんかない」みたいなこと言われて、何回も校長室に行った。
行く人数は最初は一人だったが次第に5〜6人になっていた。

結果
くるぶしソックスは禁止のまま。
ただ空調設備の効く校長室に入り浸る口実となった。

話は逸れたが、昔から自分は変わらないんだと思う。

納得いかないことは納得できないし、嫌なことは嫌、子どもみたいなのかもしれない。
変化は起こせないのかもしれないが、悪あがきは絶対にする。そしてしつこい。

でもその過程のなかで、動き方や、物事に応じて相談する人の順番、発動のタイミング、うまくいかなかったこと、良くなかったこと、すべてが学びになっていて、その過程を自分は楽しんでいるのかもしれない。

その過程が介護の仕事には毎日、利用者数、スタッフ数分あって、コナン君が何人いても足りないような課題の数ほどある。

きっとそこに、魅力があってうまく行ったことも山ほどあるし、果敢に挑戦することで、空調の効いた部屋で夏は涼んで冬は暖まったことがあったのと同様に、みえていた課題とは別のことが解決されていったり。

そして高齢者の方々とのやりとりはすごく好きで、認知症だろうがそうでなかろうが、楽しい。

排泄、食事、入浴と色々あるけど、どれも楽しい時間で、たまに腹をたてることもある。

現状に不満もある

今変えられなくて、嫌だと思っていることは
業務、対応、知識、経験、学び、そういった物をもっていて明らかに頑張っている人とそうでない人との差が目に見えて分かるような時にその人に対する評価、そうでない人の評価に違いを出せないこと、頑張る介護職たちの方がモチベーションを落としていくようになり、離職していくことを止めることができない事。

事業所によって色はもちろんあっていいと思う。
でも違う、そうじゃない。
最低限度のラインがバラバラなのがおかしい、最低限度のところは全国共通だと思う。
その最低限度のところでひしめきあっていることが問題なんだ。
プロだと誇りをもって働くには自分で起業するしかないのか?向上心を持つことが出来ない環境を、どんな事業所であっても変えられるような仕組みがない事。

給料が安い点については、事業所が他に収入源を持たない限りは難しいと、そこには納得している。経営者の無駄遣いは論外だけど、従業員はそこに頼るしかない。
頑張る介護職が他で収入を作ることが出来て、頑張った分楽しんだり、モチベーションが上がっていったり、そんな風にしていきたい。

そんな事や、あんな事のへ不満、力自分自身の量不足に対して沸々するものがあって、それらが良くなっていくように自分で動く。

腹を立てたり、悲しかったりもあるけども、そういったこと含めて好きで介護という仕事に夢中になっているんだと思う。

時給2000円について

もともと務めていた特養を辞めた。
勉強しながら退職金で生活していた。

元職場にめでたいことに妊婦が出たとのこと。
手伝える範囲のことをしてもらうが、夜勤が出来ない、要するに人がたりないとの情報が入った。

卑しいかもしれないけど、そこをつくことにした。
施設長に連絡して何度か話合い、時給2000円で、社会保険に入れる時間働くことにした。

月120時間だ。

夜勤手当はつくけどボーナスなし。

月給でいうと他のスタッフと変わらない。

自分で言うのもおかしいかもしれないけど、そこそこを超えるぐらい仕事を頑張るので、利用者、スタッフ、経営層からの信頼はあった。

そういう頑張りや能力を評価してもらいたくて、交渉した。

思い通りにはならなかったが結果は良かったと思う。

長くなりましたが、自分はこんな感じで活動しています。

出来るかどうかではなくやりたいから、やってみて救われる人が多ければ多いほど嬉しいし、向上心をもって実際に向上していくことが憧れられるような世の中になるといいと思って、これからも活動していく所存であります。

ここまでにあった
・特養での数々の戦い
・家庭の事情のお陰で屈強なポジティブさをもてたこと
・時給交渉時のこと
などなど
最近、時間を作ることがやっと出来るようになってきたので記事にしていきたいと思っています。

以上!!

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