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TAFRO症候群×新型コロナウイルス感染2日目:人工呼吸器装着と保健所による濃厚接触者の疫学調査
ベッドの中でうつらうつらしながら、マナーモードを切ったスマホを握りしめて何度も確認する。
そんな夜を過ごした朝、すぐ父にLINEを入れる。
既読がつけばまだ人工呼吸はつけていない。つかなければ先生からの連絡の前に挿管されたことがわかるだろうと思っていた。
20分後、父から返事が来た。
『おはよう!苦しくはないですよ!これから検査です』
まだ、酸素投与だけで経過を見ている。
肺炎はかなり悪いと先生は言っていた。なのにどうして苦しくないんだろう??
わからないことだらけだった。
『苦しくないなら良かった!朝ごはん、食べられそうですか?早く終わってご飯食べれるといいですね』
この返事に既読がついたあと、次のメッセージには既読がつかなかった。挿管して人工呼吸器を装着するのに鎮静をさせることはネットの情報で知っていた。父はきっと、眠っている。眠っているということは、苦しくないということだ。
同時に、これから父の意識が戻るかどうかわからないという事実も、私の目の前に立ちはだかっていた。
『集中治療室に移りました』
私はその日、念のため出勤をせずに自宅待機をしていた。詳しいことはわからないけど家族の私にはどちらにしろ保健所から連絡が来る。
症状は一つも出ていなかった。悪寒、発熱、喉の違和感、咳、鼻水、倦怠感、味覚嗅覚障害、どれをとっても当てはまらない。それでももし無症状の陽性だったら…違う意味で体が震える。
仕事のやり取りや親族への連絡などバタバタしていた午前中、病院から着信が入る。それは、思っていたよりも悪い報告だった。
『先ほど、集中治療室に移りました。そこで挿管して人工呼吸器を装着しています。状況を見て、昨日お話ししたECMOも検討していきます。えーと…わからないことだらけでしょうけど、何かありますか?(苦笑)』
(そうか、重症になったってことなんだね)
先生の最後のクスっとした苦笑いに、お会いしたこともないけれど少しホッとした。私はいつもこうやって、医療スタッフの皆さんにたくさんの安心をいただいてきた。
『先生方にお任せするしかないと思っています。どうかよろしくお願いします!ただ…』
『父は、今、苦しい様子ですか?』
【昭和のいぶし銀】私の職場のスタッフからはこんな風に呼ばれていた父。頑固ですぐ怒るし、ホントに「THE昭和の親父」な一面がある。なのにああ見えて実はビビリで怖がりで心配性。注射や点滴、何かの検査のたびに「痛いのかなぁ」と言いたげなのがわかる。
だから、痛いことや苦しいことは、できるだけ排除してあげたい。そう思ったからだ。
『それが、全然苦しそうにしていないんです。人工呼吸器の説明をするときも「そんなに苦しくないのに、その管入れなきゃいけないの?」なんて言っていて。今は眠っていますし、苦しさは感じていないはずです』
少し、安心した。
でもやっぱり、管入れるの嫌だったんだろうなぁ…
どうぞよろしくお願いしますと伝え、電話を切った。父の、長く終わりの見えない孤独な戦いがはじまった。
最初のTAFRO症候群重症時、救命病棟のベッドの上で父はうわ言のように「目標が、目標がないんだ」と何度も呟いていた。終わりの見えない苦しい闘病に、目指すべき小さな目標すらも見いだせない状況を父は一番辛いと感じていたことを後から知った。
眠っているのだから、目標もへったくれもないのはわかってる。それでももしかしたら「頑張ればここに辿り着ける」みたいな希望をあげられたらいいのにな、と思っていた。
ぜんぶ私の妄想なのだけど。
***
そして、この人工呼吸器装着の次のステップはECMOということは知らされている。この判断を下す時、父はどういう状況になっているのだろう?
そして、それは救命行為なのだろうか
それとも、延命行為なのだろうか
こんなことを延々と考えていた。
父が自分の死を受け入れる覚悟ができているのは、最初の入院でまざまざと見せつけられた。
でもそれは果たして「延命治療を望まない」という意思の表示になるのだろうか?
私がなんも考えてなかったばっかりに、父にハッキリと意思確認をする機会を見失った。挿管する前だったら、もしかして尋ねることもできたのかもしれない。
でも、たとえ機会があったとして、私は父に聞けたのか?「何かあった時、延命を望みますか?どうしたいですか?」なんて…
父のハッキリした意思表示がない以上、父の意識がない状況でその選択をするのは長女である私なのだ。そんなの決められない。でも決めなきゃいけない。
思考と感情がグルグル廻って、よくわからないけど涙が止まらない。このまま亡くなったら誰にも見送られずに父は一人で荼毘に付されるんだ…骨はいつ帰ってくる?とか、何の脈略もない思考と妄想が次から次へと襲ってくる。
いや、落ち着け、落ち着け。
保健所からの疫学調査電話
ひとりで家にいるのは良くない。ほんとうにそう思う。たった半日、いや午前中、一人でいるだけで、体と脳が離脱した感覚になる。ダメ、ゼッタイ。
深呼吸をして温かいお茶を飲もうと立ち上がったお昼前頃、スマホに着信が。いつもの病院の番号ではなかった。
女性の声だった。保健所の職員だと自己紹介してくれる声からは中年女性の母性が感じられて、ふいに泣きそうになった。
『今回は大変でしたね』
ねぎらいの言葉から始まった。
丁寧にこの電話の趣旨を説明してくれ、今後どのようにすればいいのかをお伝えしますねと終始安心させてくれる口調。
この時初めて、自分が不安に思っていること、安心を求めていたことを自覚した。
入院している父本人からは、詳細を聞けなかったのだろう。まずは父の体調や行動歴からヒアリングが始まった。
思い返せば10日ほど前、父は声変わりをしたことがあり、そこからずっとのど飴が欠かせなかった。
今朝、父のとこに行くと声変わりをしていた。先週喉が痛いと言ってる人がいたらしい、風邪もらっちゃったかな。発症後初風邪…コロナかどうかはともかく風邪ひいたらどうすればいいんだろ。とりあえず熱が37℃になったら外来にTEL。あと気をつけることって何だっけ(>_<) #TAFRO症候群
— ノリ@TAFRO症候群患者家族 (@glue_TAFRO) January 17, 2021
そのことを伝えると『そうでしたか…おそらくその辺りが発症日ということになると思います』と女性。
ガックリ肩を落としている自分の画が見えた気がした。ただの風邪、もしくは乾燥だと思っていたからだ。
その数日前、ちょっと喉が痛いと言っている人がいたと父は言っていた。軽い風邪をもらったのだと思い、発熱に注意しながら数日後に控えた外来受診まで様子を見て、少しでもおかしかったら病院に電話で相談しようと父と話していた。そして、熱は上がらなかった。36.5〜36.9℃を行ったり来たりし、平熱とそう違わなかった。
ただ今思えば、父は毎晩寝汗をかいて夜中にシャツを着替えていると話していた。平熱なのに寝汗をかくのは良く考えれば今までなかった。
「もしもこの時、すぐに病院に連絡していたら、もっと早く検査できた?肺炎は防げた?」
そこまで考えて、思い直した。
そうとは限らない。
***
話題は私の行動歴へ。
風邪やコロナの症状と思われるものは一つもないこと、前日から熱を測り、職場には今日から行っていないことなどを、女性からの丁寧な質問に答える形で伝えていった。
父とは同居していない。「一人では忍びないな」と思うところをグッと我慢して、食事は別で摂るようにしていた。
どういう時に手指消毒が必要か、どんな場面が感染リスクが高いのか、webや病院、行政などからの情報を知るたびに父と共有し、2人で気をつけるようにしていた、つもりだった。
ただ。
入院の前日、父が「たまには外食をしない?」と誘ってきた。私は1ヶ月以上の入院を翌日に控えた父を勇気づけたくてその外食を快諾した。もしかしたらこのまま会えなくなることだって可能性としてないわけじゃない。そんな気持ちもあったからだ。
4人掛けのテーブルに、家族で座った。
私と夫が父と向かい合わせになっていた。
時間にして20分程度だと思う。
マスクを外し、多少の会話を楽しみながら食事を摂った。ずっと食べたがっていた炒飯と餃子を数個、父は口にした。
そう話すと保健所の女性は『入院前に精をつけてもらおうと思ったんですよね?』と寄り添ってくれた。
本当は、きっと間違った選択だった。
風邪なのか?乾燥なのか?わからない体調が続いていた中で、父を外食に連れ出してはいけなかった。
責められてもおかしくないと思う。
結果的にクラスターなどには発展していないから言えることだけれど、お店や他のお客さんに迷惑をかける可能性だってあった。
でもあの時、父に「今は風邪気味だからやめておこう」とは言えなかった。ううん、多分、言いたくなかった。こうしたちょっとした判断の緩みが隙となって感染が拡大する可能性を痛いほど思い知った。
2週間の自宅待機の可能性とPCR検査受診指示
今回、私と夫が濃厚接触者としてPCR検査を受けることになると女性は説明をしてくれた。
・家族という近い存在であること(同居していなくとも毎日顔を合わせている)
・手を延ばせば届く距離(1m以内)でマスクを外した状態で15分以上接触していること
この2点が、私たち夫婦の濃厚接触者の判断基準だったようだ。
陰性の場合、14日間の自宅待機になること。陽性の場合は結果連絡時の指示に従うこと。
その他にわからないことや不安なことはありますか?と最後まで丁寧に対応してくれる。
その他の濃厚接触の可能性など、わからないことをいろいろ尋ねたが、忙しい中終始優しく丁寧に答えてくれた。この状況で業務が逼迫してるのはこうした行政の職員さんたちも同じなのだろう。ありがとうの気持ちを精一杯心を込めて伝え、30分ほどの疫学調査を終えた。
この時点で夫に連絡。自宅に戻るように伝え、PCR検査の概要連絡を待つことになった。
その後、別の部署からの連絡で、翌日にドライブスルー形式のPCR検査を私とオットの2人で受診することが決まった。
眠っているのであろう父の様子について、病院からの連絡はない。さらに自分たちが陽性だった場合の影響を夫と2人で想定、職場のスタッフとのやり取り。自宅待機に備えてネットスーパーの非対面配達を利用、など慌ただしく1日が過ぎていった。
家族が感染して思う「何に気をつければ良かった」のか?
新型コロナウイルスの怖さは、どこでどうやって感染するのかハッキリしない場合があるということなのだと痛感した。
父は昔の人だ。手洗いも消毒も使い捨てマスクの着用も習慣にするには時間が必要だった。
TAFRO症候群だけではないのだろう、免疫系の疾患にとって軽い風邪を含めた感染症にはかかりやすい傾向があるから気をつけるように主治医に言われている。
その「気をつける」がわからない。
どこからどこまで注意することが「気をつける」なのか?
何をすることが完璧な対策なのか?
そんな風に考えていくと、家から一歩も出られなくなりそうだし、周りが全て危険に思えて不安感から攻撃したくなることもあるんじゃないかと。
ここも人によって異なるとは思うけれど、今回を振り返って、高齢者で難病患者である父との生活において気づいた対策として、
・「ただの風邪」は存在しないと考える
(薬の影響で、ただの風邪に見えてしまう)
・いつもと違う症状の経過を記録して、早めに病院に相談することをためらわない
・本人の「体調はさほど悪くない」は、持病発症前の感覚である可能性を考える
・「もらう」ばかりでなく「誰かに与える影響」を忘れない
・家族がなんでも見抜けると思わない、過信しない
特に最後は、いちばん大事だと思った。
「なんで気づけなかったんだろう」という考えが何度も浮かんできた。それに「無症状の自分が父にうつしてしまったのかも」という考えには、すごく苦しめられた。
その都度思うのが「なんで自分なら異変に気づけると思ってるんだろう」「なぜ自分は無症状でも父にうつさないと思っているんだろう」だった。
いくら対策をしてても、いくら細心の注意を払っても、完璧なんて世の中にはない。ましてや自分は神様じゃない。判断を間違うし、情報を見逃すことなんてしょっちゅうじゃないか。
それは決して、自分や家族の健康に対して無責任になるとか諦めるとか楽天的になるということではない。でも、自分にも誰かにも完璧を求めることはやっちゃいけない。存在しないことを求めても、手に入れることはできない。
保健所の女性は、そのことを教えてくれたように思う。
***
翌日に控えたPCR検査。
たとえ陰性だとしても少なからず仕事や生活に大きな影響を及ぼすことは避けられない。
そして陽性だったら…考えられる想定には限りがない。
さらに父の容態は?
逼迫した医療スタッフに電話連絡での負担を強いるのは気が引ける。とても落ち着かない気持ちをどうにかしてなだめ、信じて待つしかない。
そう頭では思っていても、やっぱりいろいろ考えてしまって、また眠りの浅い夜を過ごすことになった。