道徳って〇〇。どうして必要なの?
こんにちは。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
私は日々ブログの更新と読書と運動に力を入れております。
読書はこんなところで。
今回は道徳についての話をしようと思います。
まず道徳と聞いてみなさんは何を思い浮かべますか?
僕は道徳⇒思いやり,信頼ってなります。
社会人の方なら久しぶりに聞いたなーなんて思うでしょう。
でも道徳って何のためにあるんでしょう?
生きていくため,損しないため,良い人間に思われたいため。
などなど色々あるでしょう。
僕はある本を読んで気づかされました。
道徳は〇〇でしかない。
人は誰しもが損得勘定で考えない,人に傲慢な態度を取ってはいけない
などと教えられたり考えたことはあるでしょう。
しかしはっきり言います。
それは「理想」です。
行きたくない遊びの約束はできれば断りたいし,自分の給料が上がるなら仕事の内容なんかそっちのけで構わないし,この人より偉くなりたい!
と思う人は山ほどいます。
そういう「道徳」においては良くないような出来事がたくさん起きます。
僕はこれに関しては当然だと考えていて,
ヒエラルキーは存在しますし,それがあるからこそ
人より上に立つことに引け目を感じる人もいておかしくないと思います。
道徳というのは理想であって実際,人はお金でも動くし,
いけないとわかっていてもやってしまうし,ダイエットだって失敗するし
要はそんなに単純な生き物じゃないんです。
道徳の場合,一般的な場合はどうであるかをほぼ考慮しません。
こうだったら理想だよね~みたいのをかいつまんで紹介しているだけです。
よく言われるように出来るとやるは違います。
道端で人が倒れています。あなたならどうしますか?
大勢の人は「助けます」というでしょう。
それはアフリカで倒れている人までを想定した,「助けます」ですか?
そう言われると助けには行けない,見逃すと多くの人が言うでしょう。
実際このようなことは起きていますが,みんな見て見ぬふりをします。
また道徳では慈善団体に寄付し続けた人や最期まで環境問題を訴え続けた人などがよくテーマにされます。
でも蓋を開けてみるとどうでしょう?
慈善団体に寄付し続ける人とそうでない人の割合を考えてみてください。
かなり割合として少ないです。
さらに割合が少ないことに対し,道徳的に良くないと思うこと自体が道徳的ではないと思います。
本当に道徳的な人なら寄付し続けても寄付しない人は悪いなどと思わないはずです。
自分はちゃんと寄付しているから偉いという論理が道徳的と言えますか?
だから僕は道徳が理想でしかないと思うのです。
でも教育現場で道徳が普及すること自体は悪くないと思います。
なぜなら生徒たちが人間関係や社会の構図といったものを学べるからです。
道徳が全て悪だとは思いませんが,道徳が判断基準になってしまってすべてを決めるとふたを開けてみたら?なんてこともあります。
まとめ
もう一度言います。「出来る」と「やる」は違います。
道徳も同じです。
こうだったら良いよねが道徳で
実際はそんな白黒簡単につく世界じゃありません。
道徳がどうしても気に食わない!という方は
社会心理学や犯罪心理学,行動経済学などを学んでみては?
僕も影響力の武器,ヤバい経済学,アリエリー教授の行動経済学入門などを読ませてもらって全体的にこういう学問で応用の例としてはこんな感じなんだなーというのは掴んでおります。
いかに人間が簡単に動かされてしまうかがわかります笑
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それではまた。