またどこかで!
まずこんな長い期間ほったらかしにしてしまったのを謝らなくてはなりません
それから次に残念な報告をしなくてはなりません。
2024.12.1(日)21:44こっここと紗(すず)は2ヶ月ぴったりでお空に帰りました。
奇しくもこの日は父初めてのカンガルーケアの予定日でした。
カンガルーケアではありませんでしたがちゃーんと、父の腕の中で深い深い眠りにつきました。
ブログサボってばかりで順調だった頃のことを伝えそびれたのは母の不徳の致すところと思いますが、本当に順調で11月29日の早朝に急変する2日前には口からの呼吸器が外れて鼻からの呼吸器に変わりました。そしてその日母に初めてのカンガルーケアをプレゼントしてくれました。その次の日には2時間もカンガルーケアさせてもらって、次の日具合悪くなるなんて知りもしない私が、仕事終わりに面会を終えた夫に「これから先すずに何かあったとしてもきっとすずは幸せよ。」と言い、なんで?と聞く夫に私たちが親だからだよと恥ずかしくなりながらも答えた事が昨日のことのように思えます。29日の早朝に異変が現れ、同日にはショック状態にまで陥り、詳しくはまだ書けないし、これからも書けないかもしれないと思うのですが、亡くなるまでの3日間に苦しい時間は全て集約してくれたこっこでした。結果的に壊死性腸炎による全身炎症反応症候群がこの世界の形からあちらの世界の形に変わる原因となりました。通常1ヶ月以内に起こることの多いこの病気に、2ヶ月間近になっていきなり発症して戸惑って分からないことが多い中で、他のお医者さんに聞いたり、限られた時間で論文を探して読んだり、主治医も看護師さんもたくさんたくさん精神も体も知識も使って生かせようとしてくれました。主治医も看護師さんも彼が怖くないように常に明るく、諦める態度なんて1度も見せなかった。亡くなったときには、一緒に泣いて、手袋を外して素手で頭を撫でてよく頑張りましたと声を掛けてくれました。1人の人間として彼を尊重してくれた医療従事者の方々の姿勢と関わりとプライドには感謝しかありませんでした。
よく壊死性腸炎は原因不明で、予防は母乳でしかできないと言われています。母は1日500mlと母乳には恵まれました。彼も8日間は母乳を摂取できましたが、便が出なくなってしまい、やむを得ずそれでも1ヶ月以降に、主治医の判断でエレンタールという大豆由来のミルクを使用してました。それも、壊死性腸炎が起こりやすいという人工ミルクとはまた違うものを体重を増やすために使うからと説明を受けて私も承諾して利用を始めました。これを経て感じたのはこの世の中にはどうしようもない事があるということ。すずに出会う前からわたしの考え方はもう運命(結果)はすでに決まっていてそこに至るまでの方法のみ、わたしたちは決めることができると思っているのですが、そんな考え方をしていたわたしですら、やっぱりああしてたら、こうしてたらと後悔が次から次とキリがなく浮かんできました。
それでも、亡くなってから、胸を突き刺すような刃物のような痛みではなく、深い深い海を泳ぐような悲しみに漂えたのです。それはきっとすずが、この2ヶ月色んな表情を見せて、オムツ交換や、抱っこ、清拭といった経験をさせてくれて、日々の丁寧な暮らしがわたしの心に、1枚は薄い和紙のようなものですが積み重なるととても頑丈なバリアを張ってくれたからだと思うのです。
昨日は四十九日を迎えました。四十九日を迎えるとふっと今までの心の重みとまた違う感じがしました。まだまだ涙は出ちゃうけど、赤ちゃんを見ると目で追いかけちゃうけど!眉尻にしか眉毛のない子だったので、きっと眉頭でも取りに行ったのねくらいに考えができるようになってきました。
まとまりませんが、これからはわたしの日常の記録をここでタラタラとありのままに書けたらとおもいます。
すずには、「すずの弟とか妹なんていやだ!またすずの来世も一緒にいたい」と何度も何度も伝えてあるので、わたしの子に限らずすずがどんな形であれわたしたちのところに帰ってきたのを見逃さないように、母達も毎日を大事に大事に生きていこうと思います。それまで、すず、またね。大好き。