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"とりあえず大学院進学"した自己評価が低い人の末路

国立理系大学院修士課程2年次に在籍しています.
ということで,題目について(備忘録も兼ねて)徒然なるままに書いていきます.


大学院入院前

学部時代は別大学の工学部機械系でした.B3の頃に研究室に配属され,そこでは言われたことは文句を言わず必ずやる所謂”まじめで謙虚な学生”でした.
実験もたくさん行って,さらにはシミュレーション解析もやっていたため,当時の指導教員に勧められてB3の頃に2回学会発表,その中で1度表彰されました.

そしてB4になり,卒業後の進路は他大学院進学を考えていました.というのも,次年度から当時の研究室がなくなるのと,研究室OBに東工大(現東京科学大学)修士課程に外部進学した方がいたため,私も頑張ったんだからいい大学に行けるのでは?という自信が芽生えてきたからです.
そこからOBがいた研究室へ行くため院試勉強を頑張り,筆記&面接試験のB日程で受験しました(ここの体験談もいつか書きたい).

結果は筆記は通って面接で不合格.筆記試験で通ればほとんど大丈夫とOBから言われていたのもあり,当時はこの結果が信じられなくて放心状態でした.
実は滑り止めで他の大学院も受験して合格していました.しかし,その大学に進学した知人たちのイメージが軒並み悪かったのと,院試本番での難易度が簡単すぎた(工業力学の初歩&高校数学レベル)のもあり,本心ではそこに進学したくないと思っていました.

結局その滑り止めの大学院に入学確約書を提出しました.理由はほかの大学院を受験する時間と気力がなかったこと(院試浪人は考えられなかった)が大きいです.あと,滑り止め大学院で志望する研究室の教授のしゃべりが達者で,研究内容も面白そうだと感じました..教授がよく言うのは,「なんも考えず人のいうことを聞いて作業者になりたいか,自分で考えて周りを動かすリーダーになるか」ということです.考える力が重要ということを何度も言っていたし,自分も考える力を養えると思って研究室を選びました.
また,自分の能力であればその研究室で活躍できる,いい成果が残せるだろうという謎の自信もありました.

ただ,
・第一志望の東工大の研究室落ち
・かなり勉強したのに結局簡単なレベルの問題を出してきたようなところへ行く
・自分が嫌な知人たちと同じレベルのところへ行く

この3つのことを日夜考えてしまい,謙虚な自分は”私はあんまり社会的価値が高くない”というレッテルを自分自身で貼ってしまいます.
友達にも相談しましたが,このレッテルを剥がすくらいの解答はありませんでした.
結局,謎の自信がある自己評価が低い状態のまま大学院に入院します.


大学院入院 M1

入学式を終え,さっそく研究室に配属されました.
結論から言うと,M1の頃は全く進捗はありませんでした.
大枠の研究テーマは決まっていましたが,そこから何のパラメータをどう測定するか,何がわかれば価値があるか?がわかっていません.試料も研究室で初めて扱うものでした.
さらに,教授がいわゆる放置系で,自主性が重んじられる研究室でした.覚悟はしていたのですが,この年は教授がかなり忙しい年だったみたいでかまってもらえませんでした.

そこで,このテーマを発案した博士の先輩に直接これを聞いてみるも「それを調べるのがあなたの仕事でしょ」とキッパリ.いや,まあその通りなんですが.無理くり20個案を出して添削してもらいましたが,あんまり良いフィードバックはもらえませんでした.ここまでで半年くらいかかっています.さらにその後先輩は学校にあまり来なくなっていきます.

ここで気づくのが,今まで自分は”言われたことをやる”ことで評価されていたということ.”言ってくれる人”がいなければ評価されず,入院前の謎の自信は何も効果をなさないことが判明します.
ということで,自分を評価する人が自分しかいない状態になります.
これが自分を苦しめる大きな第一歩でした.

残りの半年は逃げるように就活に勤しみました.
M2直前で内定し,その間研究は進んでいません.

M2~現在

弊研究室では,M2は毎週全員進捗発表が義務になっています.
義務付けられているので4月から毎週取り組みました.発表前日は夜まで資料を作っていました.しかし,なぜ実験をやるのか,何のデータを獲得したいのか,とかわかったつもりでやっていたので,発表資料作成時にはこんなもんでいいやろ!と思っても発表後は指摘の連続でした.いろんな視点から指摘されるうちに,反論しようとか,見返してやろうとかそういう気持ちがなくなっていきました.
今でも覚えているのは,何度目かの進捗発表した後に「ふじまる君はあなたの思い込みでデータを見ている,あなたの発表は全部あなたのバイアスがかかっている.」といわれたことです.
そんなに強い言葉ではないですが,ひとりで論文を調べてそこから自分なりに頑張って作ったものをそれで切り捨てられたのが悲しかったです.自分しか自分を評価する人がいない中でそれを言われると,どうしたらいいのかわからなくなりました.

ここで自己評価は地に落ち,完全に自分に自信がなくなります.論文調査してもどこに価値があるのか,やるべきことが何かが自分で判断することができなくなります.

6月頭,家が散らかっているのに何も感じなくなりました.ごみを出すこともできません.シャワーをすることもしんどいと感じ始めます.でも研究室にはいきました.
しかし,とある進捗発表前夜に資料を作りたくない,強烈に死にたいと思いました.発表当日は無理やり出したデータを見せて,またぼこぼこにされていたような気がします.発表後,自室に戻るとなぜか涙が止まりませんでした.これはまずいと思い,学校のカウンセリングに行ってみました.精神病院へ紹介状を書いてもらい,その後精神病院に行きうつ病と診断されました.

その後,薬を服用しながら進捗発表しました.その時は論文調査の内容をまとめたものを言いました.発表後,教授のコメントがあからさまに優しくなり,次やることを明確に言ってくれるようになりました.考えさせることをなによりも重視していた教授がです.
学校のカウンセラーが私について教授に直接言ったようです.
私は”まじめで謙虚な学生”に戻りました.進捗の度に教授にどうするか丁寧に提案してもらい,言われたことをやってみる.

そこからは自分で考える力がなくなりました.そして自身の研究テーマにも興味がなくなりました.自分がやるよりもスムーズに研究が進んでいる気がします.しかし,依然自分に自信がない,自己評価が低い人間がそこにはいました.

教授の助け船に乗らなければずっと苦しい堂々巡りをしていたと思いますし,乗ったら乗ったで成長を止めてしまったのです.
現在,修論を書いている(フリをしています)が,結局自分に自信がない,自己評価が低い人間のままです.

自分に課するハードルが高すぎたとか,怠けだとかいろいろ考えちゃいますけどいまだ芯を食った意見はないです.
弱くなったなあ…







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