いいよな~、気楽にトイレを借りられて
と、夫と子供を見ていて思う。
一人暮らしだと、いつでもトイレを使えるが、
我が家は3人家族なので、トイレの奪い合いが起きることがある。
我慢できない時は、二世帯同居している義父母のを借りればいい。
なので、夫と子供は遠慮なく借りて、用を足している。
でもなあ、嫁の私はな~…
ただでさえ、トイレの用事などで、インターホンを押すのは躊躇するし、
もし義父母のトイレを汚したり、臭くしたりしたらどうしよう、と
いろいろ気を遣ってしまうのだ。
気を遣うくらいなら、トイレが空くまで我慢して待つ方を選ぶ。
日本人によくあるパターンだと思うが、
友人や知り合いの家を訪れる際、気を遣うことが幾つかある。
手土産を持っていく、穴の開いていない綺麗な靴下で行く、
約束の時間を少し過ぎた頃にインターホンを鳴らす、など。
なるべくトイレを借りないようにする、というのもそれではないか。
トイレを気兼ねなく借りられるのは、
小さい子供連れ、お年寄り連れ、病人、
または本当に気兼ねが要らない仲の人だけだと私は思う。
両親と息子、祖父母と孫は、気兼ねが要らない。
ぼーっとしていても、血は水よりも濃いのだ。
ぼんやり生きられていいよなあ…
私ももちろん借りたことはあるが、かなり気を遣った。
嫁の私にとっては、義父母のトイレは、ちょっと大げさに言えば、
血脈に連なる家族のための玉座のように見える。
血のようなルビーを持つ宝冠のイメージだ。
舅姑と嫁は、意識的に気を遣い合って成り立つ関係性なのだ。
だからこそ、なんとか同居できているのだ。
夫よ、私に感謝しろ。
同居嫁は、自宅トイレ使用のトリアージにおいて、最優先であるべきだ。