「暗黒面の寓話・#30:至高の果て」
(Sub:漢ならその路の果てにあるものを見てみたい、、、)
街にはサイレンが響き渡っていた。
人々は屋内に身を潜め、普段は雑踏で賑わっている大通りに人影はない。
偶発的に発生した交通事故のせいで “ある荷物” を輸送していたトラックが破損し、荷物が “逃げ出した” のだ。
それはとあるイベントで展示される予定だった “特大のベンガル虎” だった。
そしてその虎はただ大きいだけではなかった。
かつてバングラデシュの農村で次々に人を襲って食い殺したという、曰くつきの “マン・イーター“ だったのだ。
そのイベントは “恐ろしい猛獣” を集めて展示するイベントで、件の虎はそのイベントの目玉として運ばれてきたものだった。
その “マン・イーター“ が檻から街中に放たれてしまったのだ。
3mを超える虎相手では警察官のピストルなどまるで歯が立たない。
下手をすれば手傷を負わせるだけで、無駄に相手を狂暴化させてしまう。
この虎を倒すには熊撃用のスラッグ弾が打てる大口径の銃が必要だった。
だが、そんな銃(弾)を所持している者が都会にいるはずがない。
なす術がない、、、誰もがそう感じていたその時、、、
一台のメルセデスが通りの真ん中に停車して、一人の老紳士が下りてきた。
老紳士は車を降りるとそのまま虎に向かっていく。
虎は老紳士に気づくと、一声大きく唸り声をあげた。
それは、“威嚇” であり “警告” であった。
虎にとって “強さ” こそが唯一つの “理“ であった。
強さこそが掟であり、強者こそが支配者なのだ。
そして、虎は己の強さに自信をもっていた。
これまで同族との戦いにおいても後れを取ったことなど一度もなかった。
虎にとって人間など取るに足らない脆弱な生き物だ。
強いていうなら餌でしかない。
ただ、虎は人間の操る銃の脅威も経験上、十分に知っていた。
だから不本意ながら人間の手に落ち、囚われの身となっていたのだ。
だが、この場にはその忌まわしい銃を操る人間も見当たらない。
この場では、自分こそが最も強く、それゆえに絶対者なのだ。
今、その絶対者たる自分に向かってくる愚かな人間がいる。
その馬鹿者に身の程を教えてやらなければならない。
虎は、老紳士に向かって咆哮し、殺気を込めて睨みつけた。
そうすれば、睨まれた者は一瞬ですべてを観念し、おとなしく彼の餌食となるのだ。
だが、、、いつもと違うことが起きた。
目の前にいる小さな人間は、怯えた様子を見せることもなくゆっくりと近づいてくる。
これまでそんな動きをする者はいなかった。
恐怖に硬直して動けなくなる者、ただただ嗚咽をもらす者、死を悟って泣きだす者、脆弱な人間の反応はそのどれかでしかなかった。
虎の心に戸惑いが生じたその時、
それまで伏し目がちだった老紳士の瞳が大きく見開かれた。
そして、槍のような老紳士の視線が虎の瞳を正面から射貫く。
その途端、虎は己の全ての体毛が尾の先まで逆立ったのがわかった。
そんなような経験はかつて一度しかなかった。
まだ幼かったころ、誤って大人の虎の縄張りに迷い込んでしまい、威嚇の咆哮を浴びせられた時以来だ。
そして虎は一瞬で全てを理解した。
この場の “強者” は自分ではない。 この場の ”絶対者” はこの人間なのだと。
虎は本能で理解し、そして受け入れた。
そしてその場にひれ伏し、敵対しないことを示す姿勢をとる。
虎が首を垂れると、老紳士は虎に歩み寄り、躊躇なく虎に抱き着いた。
「よぉ~し!」、 「ヨシ!ヨシ!」、
老紳士は満面の笑みを浮かべながら、虎に頬ずりして撫でまわし始める。
「イイ子だ」、 「ヨシよし!」、
何人もの犠牲者を出したはずの人食い虎の顎に自ら手を突っ込み、その舌を撫でる。
虎は、大人しくなすがままに身をまかせている。
虎をモフりまくる老紳士の後方から、スーツを着た彼の秘書が声をかける。
「流石です!、モツゴロウ先生」
「なーに、どうということはないよ」
「どんな動物も、僕にはかわいいトモダチなんだから」、老紳士が答える。
そう、彼こそが地球上のあらゆる動物、猛獣、珍獣、と友愛を交わした男、
“動物帝国の皇帝、モツゴロウ先生”、その人だったのだ。
「当局に連絡を取りましたので、直ぐに捕獲チームがやってきます」
「手荒なことはしないようにね」、 「この子はもう暴れたりしないから」
老紳士はそう言いながら虎の鼻先を ”ガシッ” と甘噛みして立ち上がる。
その目は遠くの空に浮かぶ “変わった形” の入道雲を見つめていた。
これまで余多の動物と友愛を深め、この手でモフってきた。
この虎よりも大きなライオン、ジャガーやマウンテン・ゴリラといった猛獣、ワニや大蛇といった爬虫類、はては鯨類のシャチやクジラも体をはって ”ヨシヨシ” した。
時には傷つき、命の危険に晒されながらもやり遂げてきた。
そんなわしたしにとって虎などは大きなキジトラでしかない。
どんな猛獣でも、真摯に向き合えばココロを通わすことができるのだ。
それを証明するために、わたしは生涯をかけてきた。
そんなわたしはいつからか、“動物帝国の皇帝” と呼ばれるようになった。
だが、、、
あらゆる動物をモフってきたはずのわたしには、ある一つのワダカマリがあった。
心の奥底に刺さったままの抜けない棘。
先日、ある週刊誌を見て、その棘が改めてわたしのこころを貫いた。
それは、“ある青年が命を懸けて撮影した1枚の写真”、だった。
あまりにもキケンな為これまで誰も近づくことができず、
まじかで撮影されたことがなかった存在、“G“。
その “G“ の近接写真が載っていたのだ。
その写真は、自分の路に命を懸けた ”漢の生きざま” そのものだった。
その写真を見た瞬間、わたしはカミナリに撃たれたような衝撃を受けた。
“皇帝” などと呼ばれ、“すべてをやりとげた“、などと安寧としていた自分を恥じ入った。
まだ、“友愛“ していない動物がいたではないか!?
この世で最もキケンな動物、まだ誰も “撫でまわしたことがない” 生き物。
アレをモフらずして、なにが ”皇帝” だというのか!?
この世の頂点に立つ絶対者をモフってこその “皇帝” ではないのか!?
わたしは遠い空に立ち上がる “その形” の入道雲を見据えながら心を決めた。
《ヨシッ!、南太平洋に行くぞ!》
わたしはそこに赴いて “G” を “ヨシヨシ“ するのだ!
それこそが我が路の至高の到達点に他ならない。