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[ライフストーリーVol.18] 苦しく孤独な経験も、後に自分や誰かを助ける力になる


シンガーソングライターや明星大学客員講師として活躍する一方、一般社団法人Enijeを立ち上げ、生まれ故郷であるガーナをチャリティ活動で支援したり、現地で学校建設を手掛けたりしている矢野デイビットさん。思春期には自身のアイデンティティに関して深く悩みながらも、行動を重ねることで帰属する場所を見つけ、人生を切り拓いていきました。そんなデイビットさんにこれまでの歩みと、外国ルーツの若者たちへのメッセージ、支援で必要なことなどをお聞きしました。

両親と離れ児童養護施設で育つ

――デイビットさんは6歳の時に日本に来られたそうですが、それまではご家族とガーナで生活されていたんですよね。

父はガーナで母と出会って結婚し、バーや養鶏所の経営をしていました。事業を続けるのが厳しくなったため両親と2歳違いの兄、3歳違いの弟と家族で来日しましたが、母は日本の文化や生活に慣れるのが難しく、父と離れて暮らすようになりました。父は仕事で忙しく、僕ら兄弟の面倒を見られなかったため、兄弟そろって児童養護施設に入ることになったんです。両親と離れ、日本語も喋れなかったので、とても寂しく感じました。父には何度も家に帰りたいと頼んだのですが駄目で、最初の頃はなぜ自分たちは施設に居なければいけないのかと思いながら過ごしていました。施設には結局8歳から18歳まで居ました。

――施設から小学校に通っていたのですか?

兄は施設の子たちが多くいる学校に通っていましたが、僕と弟は一般の公立小学校に通っていました。施設外の子たちと触れ合う機会が多かった僕らに比べて、兄は日本語の習得に時間が掛かっていました。

――お兄さんは元プロサッカー選手の矢野マイケルさんですね。デイビットさんも子供の頃からサッカーをしていたのですか?

僕は4年生くらいからサッカーを始めたのですが、やる気がなさ過ぎてチームをクビになったんです(笑)。でも、入学した中学校にはバレーボール部とサッカー部しかなく、バレー部の監督が怖すぎたのでまたサッカーを始めることになりました。その後、東海大菅生高校に入学し、サッカー漬けの毎日を送りました。その頃には日本語も喋れるようになっていて、体育会の上下関係や敬語の使い方を叩きこまれました。

――自分のアイデンティティに悩む外国ルーツの子どもたちは多いのですが、デイビットさんも思春期にはそうだったのでしょうか。

とても悩んでいましたね。高校時代はサッカー部の遠征で全国を回っていたのですが、遠征先で相手チームの選手などから「外人」とか「国に帰れ」などと言われたり、道を歩いていると通り過ぎた車がわざとで水しぶきをかけてきたり、こちらが日本語を喋れないと思って悪態をつかれたりしました。でも、問題を起こすわけにはいかないので、悪口に言い返そうとしても先輩部員に止められる。なぜ悪口を言われている側が我慢しなければいけないかが分からなかったし、日本で育ってきたのに自分は日本人じゃないのかという思うことが増えました。

異国に住む外国ルーツの子どもたちの多くは、「みんなと違う人形を被っている」みたいな感覚を持っているのではないでしょうか。たとえば仕事で日本に来た人であれば、たとえ社会に受け入れられなくても、心の中には故郷があります。幼少期から触れてきた文化があり、幸せな時間を過ごした経験があり、帰る場所がある。でも幼少期に日本に来た人は、他の日本人と同じく日本の文化の中で経験を積み重ねていながらも、ちょっと見た目が違うだけで故郷として認識するのを許してくれない。そういう部分の苦しみがあるのではないかと思います。

――心の拠り所がないと。

僕の場合は18歳になったら施設を出ていかなければならず、何かに帰属していないという部分がとても怖かったです。それまで家族と住んでいたわけではなく、その孤独からどう抜け出すかが人生の大きなテーマでした。

「幸せとは何か」を探し続けた時期

――高校時代はサッカー選手として期待されていましたが、大学に進学してから違う道に進んだ理由は何ですか。

それまでサッカーに打ち込んできて、疲れ果ててしまったんです。人生の幸せって何だろうと考えだして、打ち込んできたことをいったんストップして、人生の面白さを味わってみたいなと。一種の燃え尽き症候群みたいなものでしょうか。

高校3年間でサッカーをやり切ったことで、良くも悪くも日本社会で生きていける自信が付き、何らかの分野で才能を発揮してやっていけるかもしれないと思っていました。そもそも子供の頃から自分が日本のサラリーマンとして生きていくことが想像できませんでした。小学校時代は兄弟3人とも施設の先生にやたらと音楽とスポーツをやらされて、後になって理由を尋ねると「あなたたちがサラリーマンとして働く社会が日本にあると思えなかったから、せめて他の子たちと違う分野に興味を持たせようとしていた」と言われました。

――大学ではやりたいことが見つけられたのでしょうか。

大学2年生の頃に1年間休学して、いろんな人に会ったり、いろんなことに挑戦してみたりしたのですが、結局これというものは見つかりませんでした。それで挫折感を味わって、やっぱり卒業後はサラリーマンになろうと思ったんです。でも、それを父に話すと猛反対されました。「サラリーマンがダメと言うわけではないが、それは最後の選択肢として取っておけ。それまでは自分の人生の限界に挑み切ってみろ」と。父は事業には失敗しましたがサラリーマンとしてはとても優秀で、凄いペースでキャリアを駆け上がった人です。でも、その父に諭されたことで、人はお金で幸せになるわけではないと気付き、豊かな人生とは何だろうと考えるようになったんです。とにかく残りの大学生活を一生懸命送

って、何ができるのかまた探そうと思いました。

――その後、モデルやタレントとして活躍するようになりましたね。

人生を切り拓ける自身が付いたのは、大学3年生の時に始めたモデルの仕事が軌道に乗ってからです。モデルになったのは、親族が外国人専門のタレント事務所のマネージャーに僕の話をしてくれたのがきっかけです。最初は仕事が全くなかったのですが、ある時、雑誌の撮影に来る予定だった別のモデルが行方不明になってしまい、暇だった僕に急遽声が掛かりました。その撮影がきっかけで雑誌の専属モデルになり、オーディションにもどんどん合格するようになって、大学卒業の頃にはタレント業で十分食べていけるまでになりました。その頃にはサラリーマンになろうという気持ちは全くなく、自分で人生を切り拓こうと決めていました。

経験したことの光と闇を見てほしい

――一般社団法人Enjie(エニジェ)を立ち上げ、ガーナで学校を建設したり、チャリティを行ったりするなどの活動も手掛けていますね。

初めてガーナを訪れたのは大学生の時でしたが、それ以来、何か人生における答えが欲しい時には行くようにしています。ガーナの支援に携わるようになったのは25歳の時、2カ月ほどガーナに滞在した時の経験がきっかけです。帰国前に友人たちが送別会を開いてくれたのですが、テラス席で食事をしていると物乞いの子が何度もやってきました。そのたびに会話が止められるのに苛立って、強めの口調で追い払おうとしてその子の顔を見ると、幼少期に自分にそっくりだったんです。その瞬間にすべてが吹き飛んでしまって、頭の中でそれまでの人生で辛かったこと、苦しかったことがフラッシュバックし始めました。自分のこれまでの人生は、この物乞いの子のように孤独を抱える子どもたちを守るためにあったんじゃないか、それが自分の運命なんじゃないかという気持ちが沸き上がってきたんです。それで26歳の時に団体を立ち上げました。


ガーナでの矢野さん

――ガーナと日本を行き来することで、アイデンティティの認識に変化はありましたか?

物事は受けとめ方なので、外国ルーツであることのプラスマイナスを知ることが大事なのかなと思います。コミュニティの外に出てみないと中のことが見えないこともあるし、視野が代わることもあります。自分の置かれた立場を不幸ではなく、優位性に変えるやり方は無限にあると思うようになりました。ガーナで学校を作った時に、少なくともその地域は、永遠に僕の心の家になると感じました。社会で何かを実現することで、彼らとの関係が継続し、自分に対してリスペクトしてくれる。世のために自分が信じた道を実現した暁に、帰属できる何かができるのは幸せなことだと思えました。

――進路やキャリアに悩む外国ルーツの若者たちにアドバイスをお願いします。

人生の差は、何を経験してそれをどうとらえたかで出てくるのではないかと思います。苦しく孤独な経験が、後に自分や誰かを助ける力になることもあります。僕の場合は施設に通ったことで辛い経験もしましたが、それがなければガーナで学校建設もやっていなかったでしょう。経験してきたことの光と闇を見られるようになってほしいと思います。また、人生は戦うか逃げるかの二択ではなく、何もしない時間が貴重だったりします。人生における幸せとは「何を成し遂げたか」「失敗したか」ではなく、「何もしていない時間を幸せに思えるかどうか」ではないでしょうか。

――日本社会で外国ルーツの若者を支援するにあたって、課題を挙げるとすれば何でしょうか。

シンプルに支援の数かなと思います。世の中のために動いている人はたくさんいますが、人生を諦めたり、仕方がないと考えたりしている人が多いのではないでしょうか。子供たちの心に残るのは、何かをしてもらったという事実より、周りにいる大人たちの姿勢です。子供たちは先輩や大人の行動からさまざまなことを学びます。次の世代に対して残せるものはないかと行動する姿勢こそが、最も大事なのではないでしょうか

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