空を発見する| Misakiのアート万華鏡
空の表情、表情の空
朝の青空、夕暮れの茜空、星空、雨雲垂れ込める空...。私たちの上にはいつも空が広がっている。でも、この当たり前に存在する「空」は、日本の美術の中でどのように描かれてきたのだろうか。
渋谷区立松濤美術館の「空の発見」展は、そんな素朴な疑問から始まる。特に興味深いのは、日本美術において、なぜ長い間「空」があまり描かれてこなかったのか、という問いかけだ。
日本美術における空の変遷
展示室に入ってまず目に飛び込んでくるのは、金色の雲が画面いっぱいに広がる江戸時代の「洛中洛外図」である。現代人の私たちの目には不思議に映るかもしれないが、当時の日本では、空は現実の風景として描くものというより、むしろ装飾的な要素として扱われていた。
西洋の影響を受ける以前、日本で「空」(そら)は「くう」とも読まれ、天と地の間にある曖昧な場所だった。それが、西洋からの新しい視点と出会うことで、大きく変わっていく。
空への新しいまなざし
近世になると、西洋から青空の概念が輸入された。洋風画、泥絵、浮世絵などに青空が広がりだす。江戸時代、たびたび青空を描いた画家の司馬江漢が蘭学から地動説を学び、科学的な空間認識を持っていたことは「空」への意識の変化を考えるうえで示唆的だ。
明治時代に入ると、画家たちは空を見る目を変えていった。高橋由一の《不忍池図》では、池の水面に映る空の青さまでもが丁寧に描かれている。一方で、萬鉄五郎は《雲のある自画像》で、現実の空というより、自分の内面を投影したような独特の空を描いた。同じ「空」でも、画家によってこんなにも異なる表現があるのが面白い。
空が語りかけるもの
展示の後半で特に印象的だったのは、災害や戦争の時代に描かれた空だ。池田遙邨の《災禍の跡》では、関東大震災で焼け野原となった街の上に、途方もなく大きな空が広がっている。月が残る明け方の空は、被災地の静寂と対照的で、見る者の心に強く響く。
香月泰男の《青の太陽》も忘れがたい作品だ。戦時中、穴の底から見上げた青い空。その時の感情が、独特の色使いと構図で表現されている。青い空に星があるなんて、と最初は不思議に思ったが、シベリア抑留の際の体験の絵だと分かり、彼の声が心に響いてきたようだった。普段は何気なく見上げている空が、特別な意味を持つ瞬間があるのだと感じた。
私たちは、日常では、意識は地上に向けられる。絵の中で「空」が主役になることは稀だ。地上で震災や戦災が起こり、人間の活動が薙ぎ払われたとき、廃墟の上に広がる空、戦地で見上げた空などが突如重い存在感を持ち出す。
これからの空
現代の私たちにとって、空はどんな存在なのだろうか。展示を見終わって外に出ると、自然と空を見上げてしまった。同じ空なのに、美術の中での表現がこれほど変わってきたことに、改めて驚かされる。
この展覧会は、空の表現を通じて、日本人の自然との向き合い方や、世界の捉え方の変化を、やさしく語りかけてくれる素敵な展示だった。美術で描かれた空が、こんなにも多様な表情を持っていることに驚いた。
展示会チラシはこちら↓
ttps://shoto-museum.jp/wp-content/user-data/exhibitions/205sora/leaflet.pdf