第1景 挿絵画家から始まる―ミュシャの旅@ Misakiのアート万華鏡
版画から油彩画へ――ミュシャのアート人生
アルフォンス・ミュシャは1860年、チェコのモラヴィア地方にある小さな村で生まれました。幼い頃から絵を描くことが大好きで、いつもスケッチブックを手放さなかったと言われています。
しかし、画家への道のりは決して平坦ではありませんでした。プラハの美術アカデミーを受けるも不合格。ウィーンでは舞台美術の助手をしながら、独学で技術を磨き続けました。そして28歳のとき、ついにアートの中心地パリへと飛び出すことになります。てっきり天才デザイナーかと思っていたのですが、展覧会に行き、ミュシャの下積みから始まる波乱の人生を知ることになり、ドラマを感じました。
最初は油彩画家を目指していたミュシャ。パリの有名画塾に通い、コンクールでの優勝経験もあるなど、一生懸命に学んでいました。しかし、1年ほどで奨学金が打ち切られ、生活費を稼ぐために始めたのが本の挿絵の仕事だったそうです。たまたま偶然に出会った仕事がきっかけで、新たな世界が広がっていったのですね。
当時のミュシャにとって挿絵は、いわば下積みとしての仕事でしたが、後にこの経験が彼の大きな財産となります。たとえば、ルノワールが陶磁器の絵付けの経験から柔らかな色使いを学び、ゴーギャンが生活のために手がけた陶芸からモチーフの単純化のヒントを得たように、ミュシャもまた挿絵を通じて新たな表現の可能性を広げていきました。ちなみにゴーギャンはゴッホとは厳しい関係になりましたが、ミュシャとは非常に仲が良かったようです。ミュシャは、人付き合いがうまかったのでしょうか。
そんなミュシャの才能が大きく開花したのは、意外にもポスターアートの分野でした。ちょうどその頃、多色刷りのリトグラフ技術が進化し、華やかなポスターが街を彩り始めていたのです。ミュシャの繊細で華麗なスタイルは瞬く間に注目を集め、一躍有名になりました。やっとですね。
私は、ミュシャの挿絵で特に印象的だと感じるのが、文字と絵の絶妙なレイアウトです。彼は文字と絵を別々の要素として扱いながらも、それぞれが引き立て合うように配置するのが本当に上手。たとえば、絵の一部を枠で囲んだり、その枠からモチーフをはみ出させる手法は、後にポスターにも生かされています。この一貫した工夫を見ると、ミュシャのデザインの巧みさが際立っていると感じます。上の『おばあさんの話』(グサヴィエ・マルミエ著、アルフォンス・ミュシャ画 1892年書籍OGATAコレクション)では40点ほどの挿絵を寄せています。昔話を集めた子ども向けの本です。ミュシャにとって、思い入れの深い作品ではないでしょうか。
ミュシャは人気画家となり、経済的な困難がなくなってからも、挿絵の制作には積極的に取り組み続け、独自の表現を追求していました。そして後に、アメリカでも活動を広げたミュシャは、やがて故郷チェコに戻り、油彩画を中心とした制作へと移行していきます。
ミュシャのアート人生は、版画から始まり、やがて油彩画へと広がっていきました。特に版画は、彼のキャリアを通して常に重要な役割を果たし、パリ時代から生涯を通して取り組んでいたものです。彼の作品全体を振り返ると、版画は欠かせない要素であり、彼のアートの根幹にあると言えるでしょう。
アルフォンス・ミュシャ展のお知らせ
現在、府中市美術館で開催中の「アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界」展は、2024年12月1日まで楽しめます。この展覧会では、ミュシャの美しい挿絵の数々を鑑賞することができます。アート好きの方にはぜひ訪れていただきたい、おすすめの展示です。
参考文献および画像出典:
『アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界』府中市美術館 編著