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第23景  フリーダ、ライゴン、ウォーホルが問いかけるアイデンティティ:アートが映し出す多層的な自己@Misakiのアート万華鏡


はじめに

 私たちは誰なのか。鏡に映る自分は本当の自分なのか。他者の目に映る自分は、自分が思う自分と同じなのか。アートは時として、この根源的な問いに対する答えを模索する場となる。そして、その探求の過程は、時に痛みを伴い、時に社会との軋轢を生み、そして時に既存の価値観を覆すものとなる。本稿では、フリーダ・カーロ、グレン・ライゴン、アンディ・ウォーホルという三者の作品を通じて、アイデンティティという深遠なテーマに迫っていく。

1. フリーダ・カーロ:痛みが刻む自画像

1939年頃のフリーダ・カーロ
Photo: Pictures From History/Universal Images Group via Getty Images

 痛みには色がある。フリーダ・カーロの絵画には、その色が鮮やかに映し出されている。1938年、彼女の作品が国際的な評価を得たとき、人々が目にしたのは、痛みという個人的な経験が普遍的な共感を呼び起こす瞬間だった。彼女の作品のスタイルはメキシコの民芸やシュルレアリスムに影響を受けていると評されるが、彼女自身は「私は自分の現実を描いている」と語っている。

フリーダ・カーロ《Frieda and Diego Rivera》(1931) Photo: Ben Blackwell. Artwork copyright © Banco de México Diego Rivera Frida Kahlo Museums Trust, Mexico City/Artists Rights Society (ARS), New York. Collection San Francisco Museum of Modern Art  
  フリーダ・カーロとディエゴ・リベラは、1929年に結婚した20歳差のメキシコの芸術家夫婦だった。 1939年に離婚し1940年に再婚するなど、愛憎が入り混じった関係であった。
新婚時代を過ごしたアメリカでは、フリーダは芸術家として開花。
サンフランシスコで描いたこの《Frieda and Diego Rivera》では、小柄ながら力強い自身と巨漢のディエゴを対照的に描き、二人の複雑な力関係を表現した。
「いばらの首飾りとハチドリの自画像」1940 ボストン美術館蔵
イバラの蔦(つた)は事故の後遺症という絶え間ない苦痛を表し、
ハチドリは自由と精神的な解放を表している。
苦痛に耐えながらも前を見据える彼女の目は、
未来への強い意志を示している。

 ベッドに横たわり、天井に取り付けられた鏡を覗き込むフリーダ。幼少期のポリオ、18歳での悲劇的な路面電車との衝突事故は、彼女から自由な身体を奪い、背骨、骨盤、右脚などを骨折させ、内臓にも重傷を負わせた。生涯にわたり30回以上の手術を受けた彼女は、長期の療養生活の中で、自身の内面を表現する手段として、ベッドに設置された鏡とイーゼルを使って絵を描き始めた。最初の題材は自分自身だった。

フリーダ・カーロ《The Broken Column》(1944) 
Photo: Schalkwijk/Art Resource, New York. Artwork copyright © Banco de México Diego Rivera Frida Kahlo Museums Trust, Mexico City/Artists Rights Society (ARS), New York.
Collection Museo Dolores Olmedo Patiño/Mexico Ciry 

フリーダは6歳でポリオに罹患し、右脚が変形。その後18歳の時、路面電車との衝突事故で背骨、骨盤、右脚などを骨折し、内臓にも重傷を負う。生涯にわたり30回以上の手術を受けた。
長期の療養生活の中で、自身の内面を表現する手段として、
ベッドに設置された鏡とイーゼルを使って絵を描き始めた。
頭の先から小物まで、フリーダのスタイルがよくわかるポートレート。
1938年にニコラス・ムライが撮影。画像:CREA
(C)The Jacques and Natasha Gelman Collection of 20th Century Mexican Art and The Verge, Nickolas Muray Photo Archives

 メキシコの民族衣装で知られる彼女のロングスカートは、変形した脚を隠す役割を果たすとともに、メキシコ人としての誇りを表すものでもあった。テワナ族の伝統的な衣装は、彼女のルーツとメキシコの文化への誇りを象徴している。しかし、その代償として、彼女は魂の自由を手に入れた。《The Broken Column》(1944)に描かれた、無数の釘に貫かれた身体は、痛みを直視し、それを芸術作品として表現することで、苦痛を乗り越え、自己を確立していることを示している。
 また、ディエゴとの結婚、離婚、復縁といった波乱に満ちた関係も、彼女の重要なテーマである。《切り落とした髪の自画像》では、ディエゴが愛した長い髪を自ら切り落とし、カラフルなドレスを着用しない姿を描いた。椅子に座り、一方の手にハサミを、もう一方の手に切り落とした髪を持つ彼女の姿は、人生の痛みと自己表現の象徴として印象深い。

フリーダ・カーロ、《髪を切った自画像》1940年

 この自画像では、ディエゴが愛していた長い髪とカラフルなドレスをあえて描いていない。椅子に座り、片手にハサミ、もう片方の手に切られた髪を持つ姿は、アーティストとしての彼女自身をさらけ出している。彼女はあえて、誰もがやりたがらない、ある意味痛々しい姿を描いたのだ。彼女の作品は常に彼女の人生と密接に結びついており、人生の出来事を表現する手段としてアートを用いた。

2. グレン・ライゴンの問いかけと社会への視点

グレン・ライゴン
Ligon in 2014 Photo: Wikipedia

 グレン・ライゴンの作品を見ていると、私たちは「自分とは何者か?」という問いを、これまでとは違う角度から考えさせられる。特に、彼の「Runaway-逃亡者」シリーズは、歴史や過去の出来事が現代の私たちにどのように影響を与えているのかを、私たち自身の問題として問いかける作品といえるであろう。
 想像してみてください。もし、あなたが誰かに「あなた自身を言葉で説明してください」と頼まれたら、どう答えるだろうか?おそらく、名前や年齢、職業、趣味など、自分を表す言葉をいくつか挙げるであろう。しかし、もしその説明が、あなた自身が選んだ言葉ではなく、誰か他の人、例えば見知らぬ人や、あなたに対して偏見を持っている人によって書かれたものだとしたら、どうなるだろうか?
 かつてアメリカには、奴隷制度が存在した。逃げ出した奴隷を見つけるために、所有者は新聞などに「逃亡奴隷広告」を出した。そこには、逃亡した奴隷の特徴、例えば年齢、身長、服装、傷跡などが細かく書かれていたという。これは、奴隷が人間としてではなく、物として扱われていたこと、そして彼らのアイデンティティが所有者によって一方的に決められていたことを示している。
 1993年、ライゴンは友人たちに「もし警察に、ボクのことを言葉で説明する必要があるとしたら、君はどのように描写する?」と尋ね、その回答を記録した。例えば、「黒人男性、身長173cm、短いヘアカット、がっちりとした体格」といった、外見の特徴に関する記述が友人たちから集まったのである。
 ライゴンはこれらの記述を、《Runway-逃亡者》で、まさに過去の逃亡奴隷広告のような形式で表現したのである。現代の黒人男性の特徴が、過去の奴隷の記述と重なり合うことで、何が起こるだろうか?それは、過去の奴隷制度の記憶が、現代の黒人男性のイメージに影響を与えていることを示唆しているということだ。まるで、過去の影が現代にまで伸びているかのようである。


Glenn Ligon. Untitled from Runaways. 1993
Source: MOMA
友人たちの回答は、「黒人男性、身長5フィート8インチ(約173cm)、非常に短いヘアカット(ほぼ剃っている)、がっちりとした体格、体重155-165ポンド(約70-75kg)、普通の色黒の肌」といったものだった。 彼はこれらの描写を基に「逃亡者」というシリーズを制作した。

 ライゴンがこの作品を通して問いかけているのは、他者からの視線、特に人種的なステレオタイプが、個人のアイデンティティにどのように影響を与えるのか、ということなのである。奴隷制度は過去の出来事として歴史の教科書に載っているが、その影響は完全に消えたわけではないということだ。人種差別や偏見といった形で、現代社会にも残っているのである。ライゴンの作品は、私たちが歴史と向き合い、過去の負の遺産をどのように乗り越えるべきかを、私たち一人ひとりに問いかけているのである。それは、過去の出来事は過去のものとして終わるのではなく、現代の私たちにも繋がっている、ということを教えてくれているのだ。

Glenn Ligon, Self-Portrait, 2002 Collection of the artist
グレン・ライゴンは、アメリカの歴史や社会を考察する作品で知られる現代アーティスト。
オルセーやホイットニーなど、世界的な美術館で個展を開催するほどの評価を得ている。

3. アンディ・ウォーホルの複製と大衆文化

アンディ・ウォーホル 自画像(髪が逆立ったかつら) 1986 アンディ・ウォーホル美術館蔵 © The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. /Artists Rights Society (ARS), New York
1962年頃から、マリリン・モンローやエルヴィスなどの大衆的なイメージを作品に取り入れた
ウォーホル。トレードマークのシルバーウィッグは、スタジオ「シルバー・ファクトリー」
に合わせ、茶色のウィッグを銀色に塗ったものだった。

 スクリーンに映し出される無数のマリリン・モンロー。それは一体、誰なのか。1962年、モンローの死後まもなく制作されたウォーホルの連作は、アイデンティティという概念そのものへの挑戦状だった。
 大量生産された「マリリン」たちは、もはや生身の人間としてのノーマ・ジーン・ベーカーではない。それは、大衆の欲望や憧れ、そして不安が投影されたスクリーンとなっている。ウォーホルは、シルクスクリーンという複製技術を用いることで、アイデンティティの「本物」と「複製」という二項対立そのものを無効化してしまう。

 マリリン・モンローのアイデンティティは、世間によって大きく形作られたものである。1953年、映画『ナイアガラ』の宣伝写真を通じて、彼女は世界的なスターとしての地位を確立した。しかし、10年後の1962年、彼女は薬物の過剰摂取により36歳でこの世を去る。

《ナイアガラ(1953年)》
映画『ナイアガラ』のマリリン・モンローの広報用ポートレート
写真:Artpedia(近現代美術百科事典)

 その数か月後、アンディ・ウォーホルは彼女の宣伝写真を基に、シルクスクリーンの技法を用いた作品を制作した。ウォーホルは、彼女の宣伝写真を繰り返し複製することで、モンローが単なる個人ではなく、大衆文化が生み出した偶像であることを強調した。1950年代にタブロイド文化が始まり、人々は有名人の私生活やスキャンダルに強い関心を持つようになっていた。モンローの死後、誰もが彼女について語りたがった。

《撃ち抜かれたマリリンたち / Shot Marilyns》
画像:Artpedia(近現代美術百科事典)



 「彼女は本当に誰だったのか?」という問いが飛び交ったが、ウォーホルは彼女の宣伝写真を複製し、大量生産することで、世間のイメージによって作られたモンロー像を表現した。ウォーホルは、モンローのイメージを繰り返し複製することで、彼女が単なる人間ではなく、大量消費社会が生み出した偶像であることを強調し、大衆文化における有名人のイメージ操作を批判的に考察した。シルクスクリーンの技法が、大量生産・大量消費社会を象徴するものであり、ウォーホルの作品と非常に相性が良かったのではないか。

 ウォーホル自身のトレードマークとなったシルバーウィッグもまた、アイデンティティという「仮面」を戯画化する装置だった。彼は自らを「機械になりたい」と語ったが、それは逆説的に、現代社会における人間性への深い洞察を含んでいたのかもしれない。

結び

 痛みという個人的な経験、歴史という重み、そして大衆文化という鏡。これらを通して、私たちは絶えず自己を探し求めている。フリーダ・カーロは、痛みを抱える女性、メキシコの文化を体現する芸術家、ディエゴ・リベラの妻など、様々な側面を自画像に織り込んだ。グレン・ライゴンは、他者から見られる「私」と自己認識の差異、そして現代に生きる「私」と歴史的文脈の中の「私」という重層的なアイデンティティを提示した。そして、アンディ・ウォーホルは、マリリン・モンローの連作を通して、一人の人間の中に存在する無数の「私」を視覚化し、アイデンティティの多重性と流動性を表現した。

 フリーダ、ライゴン、ウォーホルの作品は、この自己探求の道筋を照らし出す灯火となるのではないか。彼・彼女らの問いかけは、時代を超えて私たちの心に響き続けることだろう。「私とは何者か」という問いは、人間である限り、永遠に完全な答えを得ることのできない、終わりのない探求だからだ。私たちは多くの役割や顔を持ちながら生きており、それら全てが『私』の一部であり、真実の『私』を構成している。三者はそれぞれの手法で、このアイデンティティの多重性に光を当て、私たちに自己理解への手がかりを与えてくれた。

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Misaki
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