落合陽一の「鮨ヌル∴鰻ドラゴン」| Misakiのアート万華鏡
人とAIの協働作品:うなぎドラゴン
鰻龍(うなぎドラゴン)は、「鰻屋」の御神体である。この作品は、AIが形を生み出し、人間が共同で3D構造を構成し、カリモク家具のCNC機械が削り出したものである。その後、カリモク家具の職人たちが丹念に仕上げ、塗装を施して完成したものである。鰻龍は、神仏習合の象徴として、八岐大蛇のように八体の鰻で構成され、その威厳を放っている。
ディテールへのこだわりもまた見事である。能装束は、1878年に千葉県佐倉市へと持ち込まれた竹生島龍神のものを再現しており、145年ぶりの里帰りを果たしている。この共同制作は、江戸時代の龍神信仰をも継承し、現代の技術と伝統が融合した作品である。
この八体の鰻たちは、一体どんなことを語り合っているのだろうか。鰻に知性があるとすれば、それはどのようなものなのか。AIによって「作られてしまった」彼らは、果たしてどんな気持ちを抱いているのだろうか。
このように鰻たちの会話を妄想してみると、ふと背後に蒲焼きの香りが漂ってきたので振り返ってみると、そこにはなんと鰻屋があった。生きたうなぎが何匹か入れられた板張りの「たらい」や、うなぎを釘で固定して捌くためのまな板。これらは、なんと江戸時代の実物であるという。
空間を彩る造形の数々
床に目を向けると、足長をモチーフにした彫刻が見えるはずである。足元に注目すれば、その足先のディテールまでが緻密に表現されていることがわかる。これは、定住する遊牧民の思考の結晶として生まれた彫刻であり、こちらも3Dデータを元に、カリモク家具のCNC機械と職人の手によって作り上げられた作品である。
また、壁にはプラチナプリントも展示されており、こちらもAIによって生成されたものである。プラチナは科学的に安定した金属であり、そのプリントは500年以上、美しい状態を保つことができるとされている。まさに「瞬間を、永遠に」閉じ込めた稀少なものである。
その形状はコードのようにも見えるが、一瞬うなぎのようにも見えてしまう…そんなユーモアも含まれているのかもしれない。
「ヌル」が繋ぐ、物質と無の世界
展示タイトルの「ヌル」には、いくつもの意味が重ねられているのではないだろうか。仏教でいう「空(くう)」、プログラミングで「何もない」を表す「null」、そしてウナギの持つ「ヌルヌル」した質感―。落合氏は、これらの「ヌル」を遊び心たっぷりに結びつけながら、物質と無の境界を探る空間を作り上げた。
この思想を体現するかのように、展示の主役「鰻龍」は、無から生まれるように制作されたわけだ。AIによる設計(デジタルの無)から始まり、人との共同作業で3Dデータとなり、カリモク家具のCNC機械と職人の手業によって、物質としての姿を得ている。
ぜひ、前回の展示会レポもご覧ください。↓
鮨屋で神さまをいただく
隣の会場に足を運んでみると、そこはなんと鮨屋であった。ここで私は、江戸文化の寛容さを強く感じることとなった。もしニューヨークのブロードウェイで、ユダヤ教とイスラム教が融合したレストラン展示が行われたなら、プロテストやテロが発生するような大騒ぎになりそうなところだが、ここ銀座ではそんな文化的な垣根を超えた空間が、穏やかに存在している。
まるで銀座の鮨カウンターのように、客たちが肩を並べ、浄化されたカウンターで、天から差し伸べられた長い手によって裁かれた聖獣を味わう。こんなラディカルな体験が許されるのは、世界中を見渡してもここだけかもしれない。
帰り道の妄想
帰りの電車に揺られながら、私はまるで自分の体がうなぎのように伸びきっているかのような感覚にとらわれた。世界と自分、自分とうなぎ、うなぎと龍。その境界が曖昧になり、気がつけば私はすっかり「うなぎ」になってしまったかのようであった。
落合陽一氏の展示会は、過去と未来、人とAI、信仰と科学が交差する壮大な空間である。訪れる者に新たな視点を与え、その感性を刺激するものであった。鰻龍とともに、その神秘的な力をぜひ感じ取っていただきたい。