「ミュシャとスラヴ叙事詩」ミュシャ連載・第3回/ Misakiのアート万華鏡
心の奥を見つめる象徴主義の思想
19世紀末、ヨーロッパの芸術界では、心の内面に焦点を当てた「象徴主義」が大きな流行となりました。文学、音楽、美術などさまざまな分野で、神秘的で内省的なテーマが注目され、数多くの作品が生まれました。この流れの中で、ミュシャの油彩画も象徴主義の代表作とされています。
そのため、ミュシャの版画と油彩画はまるで異なるジャンルのものとして扱われがちです。しかし実は、ミュシャが象徴主義に傾倒するきっかけとなったのは、彼の版画作品でした。彼のポスターに描かれた女性の独特なポーズが、当時の心理学やオカルト的な関心を集め、ミュシャ自身も催眠術や降霊術といった神秘的な世界に興味を持つようになったのです。
祖国チェコでの新たな挑戦
その後、ミュシャはパリを離れ、後半生を捧げた油彩画の大作『スラヴ叙事詩』に没頭します。これまでミュシャの版画と油彩はまったく別のものとして語られてきましたが、この大作を通じて彼の強い個性と独自の魅力が一層明確に感じられます。
ミュシャは、アメリカの富豪チャールズ・クレーンからの資金援助を受け、1910年に故郷チェコへ帰国しました。そして、全20点から成る連作『スラヴ叙事詩』の制作に着手します。これらの作品は「汎スラヴ主義」に基づき、スラヴ語を話す民族がかつて一つの統一民族であったという歴史的な空想をテーマにしています。
ミュシャが『スラヴ叙事詩』を構想した正確な時期は不明ですが、1900年のパリ万博でボスニア・ヘルツェゴビナ館の内装を依頼され、スラヴ民族の歴史を調査したことが大きなきっかけとなったようです。この時、ミュシャは「残りの人生を自分の民族に捧げる」という決意を新たにしたと伝えられています。
その後、ミュシャはチェコ国内で愛国心を鼓舞する作品を多く手がけ、1918年のチェコスロバキア独立後には、新国家のために紙幣や切手、国章のデザインを無報酬で提供しました。この行為には、財政難に苦しむ祖国を思うミュシャの深い愛国心が表れています。
スラヴ叙事詩の制作と公開
1910年から、ミュシャはプラハ近郊のズビロフ城にこもり、20年近くをかけて『スラヴ叙事詩』の制作に没頭しました。1912年には最初の3点『故郷のスラヴ人』『ルヤナ島のスヴァントヴィト祭』『大ボヘミアにおけるスラヴ的典礼の導入』をプラハ市に引き渡し、1919年にはプラハのクレメンティヌムで11点の作品が公開されました。また、1921年にはニューヨークとシカゴでも展示され、60万人が訪れるほどの人気を博しました。
しかし、この時期に勃発した第一次世界大戦や、チェコスロバキアの独立といった激動の時代が、ミュシャの作品にも大きな影響を与えました。彼は『スラヴ叙事詩』でスラヴ民族の偉大さを描き、民族の誇りや独立を象徴的に表現しようとしました。しかし、独立を果たしたばかりのチェコでは、若い世代が新しい国の発展に向けて前進しており、彼の理想や寓意は次第に時代にそぐわないものとして見なされるようになったのです。
ミュシャの晩年とその後
晩年のミュシャがこのようなテーマに取り組んだ背景には、彼自身の民族的なアイデンティティと、チェコスロバキアの独立という時代背景が深く関わっていたと考えられます。スラヴ民族の過去と未来を描くことで、彼はチェコの独立やスラヴ民族の誇りを象徴的に表現しようとしたのでしょう。しかし、その『スラヴ叙事詩』は、完成した頃には時代の流れに合わなくなっており、ミュシャの理想や寓意は若い世代にはあまり響かなかったのかもしれません。
ミュシャの晩年がこれほど苦労に満ちていたとは、私自身も驚きでした。彼の作品には、明るく華やかなアール・ヌーヴォーのイメージが強くありますが、その裏では、祖国チェコのために献身し、さらにはナチスに命を脅かされるほどの苦難があったのです。こうしたミュシャの側面は、あまり広く知られていないかもしれませんね。
1939年、チェコスロバキアがナチス・ドイツに占領されると、ミュシャは愛国心を煽る存在として逮捕され、厳しい尋問を受けました。高齢だった彼にとって、この尋問は大きな負担となり、その後体調を崩して亡くなりました。彼はチェコの英雄として、ヴィシェフラド民族墓地に埋葬されています。
戦後、チェコを掌握した共産党政権はミュシャの愛国心に警戒心を抱き、彼の存在を黙殺しようとしました。しかし、民衆の間でミュシャへの敬愛は続き、1969年には彼の絵がプリントされた記念切手が発行されています。さらに、1960年代以降のアール・ヌーヴォーの再評価により、ミュシャは再び世界的に高い評価を受け、今ではチェコを代表する国民的画家として知られています。
最初の画像は、『スラヴ叙事詩』のうちの1作品。抑圧されていた民族の歴史を持つスラヴ人の若者たちが女神スラヴィアのもとで、愛国の心と自由を誓う一場面を描いたもの。
画像出典:西洋絵画美術館