物語を紡ぐ銅版画家 ~山本容子版画展に見る文学との出会い~| Misakiのアート万華鏡
トルーマン・カポーティの中編小説『クリスマスの思い出』を村上春樹が翻訳したとき、この小説の長さだけで一冊の本にするには、いささかムリがあると村上春樹は感じたようだ。そこで「大人のための絵本」というコンセプトが生まれた。
誰に絵を描いてもらうかという問題については、この小説世界に寄り添った絵を描ける人は山本容子さんしかいないと、村上春樹は考えた。出来上がってきた絵を目にして、村上はホッと安堵したという。彼女の絵には彼女自身の物語があり、一枚一枚の絵にイキイキとしたつながりがあった。そしてその物語はカポーティのストーリーの流れを少しも妨げることはなかった。 しゃれた装丁、温かい物語、手頃な厚さ。これを大事な人に何かの折にプレゼントするには最適ではないかと、村上春樹は「えっへん、おっほん」という具合に自負されているのではないだろうか。
山本容子が銅板画と出会ったのは、1973年のことだった。京都芸大の2回生の時である。4回生になり「身の周りにある小さなモノを描く」ことをテーマに選び、大きな画面の銅板画を制作して初個展を開いた。「バンドエイド」「両刃のカミソリ」などがモチーフだった。
その後、ナンセンス遊びのような制作のコンセプトから方向を変え、画面に転写できないナンセンスそのものをモチーフに考えるようになった。たとえば「海岸でシャワーを浴びている人=Summer Shower Show」という具合に、言葉遊びも躍り出た。
1978年、はじめての海外旅行で訪れた冬のロンドンで、「タクシー」「公園」「凍った池」が画面の中で走り出した。「レストラン」「ミュージアム」がオランダでくしゃみの音と共に画面に貼りついた。この年からモチーフはモノからモノガタリに移行し、何でも描ける自由を手に入れた。
1979年には小説を読み滲み出てくるイメージを伝えることがテーマとなり、トルーマン・カポーティの作品をモチーフに選んだ。山本は初期の代表作「遠い声、遠い部屋」に刺激を受けた。荒地を疾走するトラックと少年、酒場に足を踏み入れる少年。ほこりっぽく薄汚れた場面が、少年の姿によりいっそう無垢な表情を漂わせる。この通奏低音を聴きながら「夜の樹」「草の竪琴」「ミリアム」の読後感を描いた。
そして「CAPOTE SUITE」というポートフォリオを東京の画廊で発表。このオリジナル版画集が9年後の村上春樹との出会いに繋がった。銅板画作品約25点がカポーティの小説を通して村上のイメージと交歓したその経緯は、制作を続ける原動力となったという。
『哀しいカフェのバラード』2024カーソン・マッカラーズ (著), 村上春樹 (翻訳), 山本容子 (イラスト)は最新作になるそうだ。村上春樹の新訳と山本容子の銅版画で、マッカラーズの名作がよみがえる。絵と文字を一体化させながら物語とコラボレーションさせている。
山本容子のアート工房の様子の一部も観れて、中世の錬金術師みたいと感じた。
お勧めの展示会。ぜひ足を運んでください。
場所は、早稲田大学国際文学館 村上春樹ライブラリーにて。