自転車。
「自転車」ってカレーライスみたいだと思う。みんな大スキで大キライなひとが少なくて、ときどき触れたくなり、たまに触れるとワクワクする。そう想うのは、僕だけかな?
自転車に乗れるようになったのは、小学校の低学年だった。それから現在までいつも自転車を所有してきた。よくある子供用の自転車から卒業して、最初に買ってもらったのが20インチの折りたたみ自転車だった。
折りたたみ自転車はふつうの自転車より重く、20インチという小径ホイールで速い自転車ではなかったが、自転車に乗るとどこまでも行けるようなキモチになった。
小四の頃だろうか、実家から3時間くらいかけて県庁がある街まで出かけた。田舎に住んでいると県庁周辺に行くだけで都心に行く感覚がした。今の感覚だと、東京から博多に行く感覚・・・いやもっと大きな大冒険だった。
幼少期に喘息だったので「発症がないときに水泳やサイクリングなどの全身運動をして体質改善を心がけなさい」と、医師からススメられていたこともあり、両親も自転車に乗ることに賛成してくれて、ありがたいことに高額な自転車も購入してくれた。
中学に入学してから、中学の最寄駅のそばにサイクルショップがあり、下校途中に立寄ることがあった。近くに競輪場があったことで、時折プロサイクリストもお店にいた。
お店に陳列してあったロードレーサーは驚くほど細いフレームに、驚くほど細いタイアがついていた。ちょっと試乗させてもらうと、20インチの折りたたみ自転車の二倍・・・いや十倍くらい速く走れる気がした。
自転車ならいくら高額でも両親は買ってくれるだろうと想ったが、さすがに高額すぎると感じ、新品のフレームにタダ同然の中古のパーツで一台組んでもらうことで、人生初のロードレーサーを手にすることができた。
それからは、土曜日の午後と日曜日は毎週自転車に乗っていた。幸い周辺には、交通量の少ない造成されたばかりの住宅地が広がっていたので、練習場所には困らなかった。
人生初のロードレーサーに慣れてきたころ、サイクルショップの主人から「定期的に競輪場で練習しているから来ないか?」と誘われた。願ってもない誘いを断るハズもなく快諾した。
生まれてはじめて見たバンクは絶壁のようで、テレビで見ていたように自転車を45度傾けてダンシング(バイクの上で踊るように体重を生かして走るスタイル)させるなんて不可能に想えた。
ところで、レースの翌日に競輪場に行くと、券売所の近くの側溝に小銭が落ちていることがあり、練習の合間に小銭を集めてパーツを買った記憶もある。
気づくとロードレースの練習に夢中になり「将来は国際A級の競輪選手になりたい」という夢を抱いていた。サイクルスポーツという雑誌に「競輪学校の学生は毎朝パンを一斤食べる」とあったので毎日パンを食べた。毎日パンを一斤食べれば競輪選手になれると信じていたのは、我ながらかわいいと想う。
でも現実は、競輪選手はおろか草レースに出場することすらできなかった。周りのひとと較べても体力をはじめ、あらゆるリソースが欠如していたことは明白だったが、中二で出逢った転校生もサイクリストだったこともあり、中学の三年間は何となく続けていた。
でも、その約25年後、僕は自転車で家族を失うことになる。
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