2年間のMPH留学生活の振り返り
2017年5月8日にエモリー大学ロリンス公衆衛生大学院の卒業式があり、公衆衛生学修士(MPH)を取得した。MPH留学の締めくくりとして、以下にこの2年間で得たこと・感じたことを振り返ろうと思う。留学に関するちゃんとした投稿はこれで最後になるかもしれない。
授業
S/UやAuditなども合わせて64単位の授業を取った。総花的になってしまった感はあるが、2年間に詰め込めるだけのことは詰め込んだという気がする。僕はハードスキルを学ぶことを重視して授業を選択した。例えば統計学はマルチレベル分析まで、疫学はcausal diagramを用いた因果推論やバイアスの補正まで、フォーカス・グループ・ディスカッションなどの質的研究手法や評価学(差分の差分法など)、医療経済学(学部レベルだが)、医療の経済評価法などを学ぶことができた。逆にソフトスキルの授業はほとんど取らなかった。また感染症、母子保健、ジェンダーなどの特定のテーマ・疾病に関する授業もほとんど取らなかった。
惜しむらくはロリンスが、僕が最も関心のある低・中所得国の保健システム強化(HSS)やユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)にあまり強くなかった点である。エモリーのHPMは米国内の医療政策・管理を扱っているし、経済学部も開発経済学には疎いようだった。だったら他の大学に行けば良かったじゃないか!と言われそうだが、僕の場合は大学院生活を通じて自らのキャリアを見つめ直し、興味を持てる分野を見つけることができた。巷では大学院に入る前から卒後のキャリアプランを明確に!とよく言われるが、実際にグローバルヘルスの現場に触れてみて初めて気づくこともあると思う。
他の授業とかぶったり、僕自身のキャパ不足で取れなかった授業があったのは残念だた(例えばGISや会計学など)。疫学や経済学など、学び始めたのは良いが未だに知識は十分ではない。しかし人生一生勉強なので、今はCourseraなどの安価なオンライン授業も充実しているし、これからも時間を作って学んでいきたい。ってかCoursera等のMOOCを苦もなく受講できるようになったのも、留学の副産物かもしれない。
友人関係
米国人との交流を通じて彼らがどんな人間なのか、を観察できたのがよかった。例えば、米国人は(日本人と同様に?)本音と建前を使い分ける。米国人に"That's great!"とか言われても、「まぁまぁだね」ぐらいに解釈しておくこと。日本人が思ってもないのに「前向きに検討します」とか社交辞令で言うのと一緒である。また米国で生きるということは、日本以上に外面を気をつけなければいけないようだ。人生浮き沈みがあるのだけど、表向きは常にsuperbであるかのように振る舞う。NirvanaとかSlipknotが唄っているような感情は、そう簡単に表には出さない。仮にトランプを支持していたとしても、周囲には「あいつは性差別主義者で最悪だ」と風潮する。こうした点はちょっと生きづらいなぁ…と感じた。
あと高校〜大学から米国に住んでいて、ネイティヴ並みに英語がしゃべれる日本人が、どんな人生を歩んできたのか知れたのがよかった。僕が中高の頃には海外で暮らすなんて考えもしなかったので。子育て(…することがあれば)の参考にしたい。
課外活動
CDCが隣にありながら、一度も足を踏み入れることがなかったのは残念だった。結構応募したのだが一度もインタビューに呼ばれることはなかった。これは1つの挫折経験として記憶に留めておきたい。一方で国際機関でインターンをするという目標が達成できたのは良かった。
キャリア
国際協力の仕事にやっと携われることになったのは喜ばしい。でもこれからが大変なので、緊張感>>>喜びという感じ。まぁ人生一度きりなので、いろいろ挑戦したい。
米国で医者として働きたいとは思わないの?としばしば聞かれるのだが、あまり思えなかった。もちろん米国で医師として挑戦している日本人の姿はカッコいい。でも僕みたいに公衆衛生的視点を持っていると、米国の医療制度や社会そのものが医療者をdiscourageしているように思えてならない。例えば貧しい黒人が銃で撃たれたりヤク中で病院に運ばれてきても、社会が悪いよね、格差のせいだよねと感じてしまう。一方でこの腐った社会を変えてやる!と意気込めるほど、この国に愛着が湧かなかった(まぁ2年間しか住んでないので)。
そのまま米国でPhDまで取れば?と何人かの先輩方から勧められて、結構心が揺らいだのだが、結局働くことにした。仮にストレートでPhDに進学して卒業できたとしても、30代後半である。研究一筋でキャリアを積むには遅いし(まぁ何を始めるにも遅すぎることはないが)、国際協力をやりたい人間が三十路を過ぎても現場で揉まれないのはかなり問題があると思った。現場知らずで頭でっかちな人間にはなりたくないので。
ちなみに米国は、僕みたいなコミュ障にはシンドい国である。社交性やプレゼン能力を重視する文化があるので、口が達者な人間が何かと有利だからだ。やっぱりプレゼン能力は僕の人生におけるボトルネックになっていると度々感じた。なんとかしたいが…
生活
米国で暮らしていると、日本にいると感じるような「○○しなければならない」的な閉塞感を感じることは少ない。また怒られることが日本に比べて圧倒的に少ないので、僕みたいに怒られやすい人間からすると、精神衛生上よい。一方で、どこへ行っても完璧な楽園は存在しないことは受け入れなければならない。こっちで生活していれば周囲からの同調圧力に苛まれるリスクは減るが、人種差別や銃犯罪に巻き込まれるリスクは増える。サービスの質にばらつきが大きいわりには高額だし、何かトラブルがあってら自力で解決することが期待される。
その他感想など
米国大統領選挙からのトランプ政権誕生を、米国で暮らしながら観察することができたのは、よい経験だったと思う。公衆衛生をやっている人間はだいたいリベラルで、女性や有色人種やLGBTQの健康や権利を擁護し、銃規制に賛成している。そんな人々に日々囲まれていると、さもアメリカ人は皆そう考えているのではないかと錯覚してしまう。でも実際には、かなり偏ったタイプの人々に囲まれていたのだ。「大学は特殊な場所。田舎に行けばみんな保守的よ」と同級生が言っていたのが思い出される。そして一度政権政党が変わると、政策がガラッと変わる。今まで当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなくなってしまう。そこで自らの権利を守るためには、しばしば政治的に闘う必要に迫られる。よく米国の大学生は政治的意識が高いとか言われるが、この国で暮らしていたら政治的にならざるを得ないという側面はある。ボヤボヤしていると、自分たちの権利を勝手に剥奪されてしまうからだ。翻って日本は、どの政党が政権を取ってもどうせやることは一緒でしょ、という認識はあながち間違いではない。日本のように未だに受動喫煙対策すらできない変われない国に住むのはストレスだが、アメリカのようにやれACAの次はAHCAだ!とかコロコロ変わりすぎる国に住むのも、それはそれで疲れる。
また大西洋をまたいだ隣国でBriexitがあり、グローバル化やテクノロジーの進歩が先進国の(特に非熟練)労働者を脅かしている、それを一因として社会が不安定になっているという現実を突きつけられた。米国も世界中から押し寄せる移民と新たなテクノロジーに仕事が奪われている社会であり、それを強く実感した。昔々、僕の小学校の先生が「君達が大人になったら① 国際化、② 情報化(3つ目があったのだが忘れてしまった)した社会で生きなければいけないのだよ」と卒業間際に言ってたが、まさにそんな感じだ。この変化に自分や家族がどう生き延びていくのか、社会の安定性を保っていくのか、考えはまとまらないがこれからも考え続けたい。
あと自分がいかに英語ができないかを繰り返し打ちのめされた2年間だった。純ジャパが、三十路から2年間留学したぐらいでは、到底満足に話せるようにならない。実は僕は小学3年生から英語学習を始めたのだが、某E●Cへの投資も含めてROIの検証が必要だ。そしてこんな世界で闘えない日本人を量産している日本の英語教育には、まぁ漸進的に改善しているのだろうが、強い憤りを感じる。大人になってから生育環境によるハンデをひっくり返すのは、並大抵の努力では足りない。留学経験者がしばしば自身の子供を海外で育てたがるが、いざ自分が留学してみるとその気持ちはよく理解できる。
以上で、留学関連の投稿は一応おしまいです。読んでくださった方々(非常に少ないでしょうが)、ありがとうございました。MPH関連で付け足すことがあれば、また記事を書くかもしれません。