入浴屋か入浴介助か。
先月から、1年近く入浴していない重度認知症の方の支援に携わっている。
入浴拒否のある方や入浴出来ない方は、今まで何度となく実践してきたが、入浴していない方の在宅支援は初めてである。
担当ケアマネジャーから、「何とか協力してほしい。」と依頼された事以外に、僕自身困難ケースの依頼があるという事は介護職としての誉れと感じているので、時間都合も許された中、断る理由はなかった。
「あわよくば入浴」程度で臨んだ初回訪問。
まずはご本人を知る事、ゆっくり時間をかけて話すというセオリー通りにおこなってみた。
重度認知症の為、辻褄の合わない話や前後の繋がりがまるでない話が殆どであったが、和やかに話せた。
しかし、その様子を見ている奥さんは「いつになったらお風呂に入れてくれるのか?」という心境であったに違いなく、無言の言葉が背中に刺さる感じであった。
「まともに取り合わないでいいですよ。」と話の間に強めの口調で入ってくるところを見ると、家族も相当のストレスを抱えているに違いないと思い、今度は奥さんと話してみる。
すると堰を切ったように、徘徊で警察や病院に幾度となく厄介になった事、排泄物に塗れていても入浴しない不潔から近所付き合いに引け目を感じている事などが、押し寄せる如く出てきた。
また近所の内科医に相談したところ、「1年くらいお風呂に入らなくたって死なないよ。それが認知症ってものですよ。」と言われた事が、この先いったいどうしたらいいのか?とより一層困惑した。と話していただいた。
先生は「そこまで神経質にならなくていいよ。」と落ち着かせる意味で用いたのだろうが、今回は話のタイミングがズレた言葉に終わり、「打つ手なしの烙印」の印象を与えてしまったのではないだろうか。
とりあえずご家族には、お風呂に入るという目標は「長い道のり」になると伝えた。
無理やりにでも入れる事は可能だ。しかし毎回掴みあいになりながらお風呂に入る事と、徐々に慣れて穏やかに入る事が出来る光景ならそちらの方が絶対にいい。たとえ認知症になったからといっても、乱暴な扱いを受ける事はあってはならないのだ。
「絶対」は約束できないが、いつか「諦めずに挑戦してよかった。」と言える日を目指したい事を話した。
今のところ時間はかかるものの、爪切りや足浴、最近は上半身の清拭をさせていただくまでになった。
その成果のリズムに合わせるように、少しずつだが奥さんも穏やかになってきているように思う。
我々がサービス提供する対象者はご本人だが、サポートは家族に対しても手を差し伸べるべきだ。
そして時として本人のニーズと家族のニーズは違っている事があり、安直にどちらを優先させるべきか?と考えると、守るべき「本人の尊厳」はケアの中に存在しなくなる。
そうすると「入浴屋なのか介護職が行う入浴介助」なのか分からなくなる。
介護職は常に「尊厳」を考えて行動せねば「○○屋」に成り下がってしまうのだ。
僕は入浴屋に成り下がることなく、穏やかに入浴できる支援をしていく。
それが介護職たる至極当たり前の姿だと思う。
2014.06.16 Monday