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心の越境・・・隣の国の人々と出会う

by Bluepines

「セミが鳴いているね」
7月のソウルに着いた初日、息子が言った。
私たちが住むロンドンにはセミがいない。なにしろ前の日に飛行機に搭乗した時点で、気温はまだ17度だった。イギリス育ちの息子がセミの声を聞くのは、夏に日本で過ごす機会があった時だけ。つまり人生まだ数回しかない。
でも、なんだか懐かしそうな顔をしている。
ソウルの朝は、まだ30度にはなっていなかったけれど、歩いているだけで汗ばむ。湿気を帯びた空気を感じながら、コンクリートのビルの街並みを抜けて横断歩道を渡り、雑然と立ち並ぶ店の脇の細い坂道を上がって、木の生い茂る公園に着いたばかり。
ここは初めてきた街。言葉もわからない。でもセミの鳴き声だけではなく、そのすべてが、どこか懐かしい。

南山公園から望むソウル中心地

ロンドンから東京へ向かう途中、乗り継ぎついでにソウルに数泊しよう…という思いつきに、14歳の息子が大喜びした。ロンドンでもBTSをはじめKポップ、そして韓流ドラマや映画は人気で、ティーンにもCoolになっていたからだ。
一方私は、韓国について、日本にいる人よりも触れる機会が少ない。イギリスで韓国文化が知られるようになったのは最近のこと。韓国料理店がロンドン市内にも増えたとはいえ、一般的な知識はキムチや焼肉止まり。英訳されている韓国文学作品の数は限られる。私は日本の韓流ブーム以前に渡英しているし、配信動画もそれほど見ていない。
でも以前は翻訳の仕事で、素材として届いた映像や文章が韓国語だったことが何度もあった。これは日本語ではないよ…と言うと、欧州の多言語を駆使する同僚に「隣の国だからわかるでしょ」と言われた。でもポルトガル語とスペイン語のように、お互いに何となくわかる…という感覚ではない。ハングル文字はまったく読めない、と伝えると、「なぜ?」と怪訝な顔をされた。

それから何年も経って、初めて訪れたソウルの街。聞こえてくる言葉の響きも日本語に近い。よく聞いたら、わかりそうな気がする…けれど、全然わからない。店の看板の文字も読めない。初めてなのに懐かしい、似ているけれどわからない。長年アルファベットの言葉と奮闘してきたけれど、この言葉をわかりたい、というか、わからなくちゃいけないような気がする。

斎藤真理子著『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』創元社、2024

その旅から1か月後、8月末に発売された『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』(創元社刊)は、まさにその思いに応えてくれた。韓国文学翻訳家の斎藤真理子さんが、韓国語について、マル(言葉)、クル(文、文字)、ソリ(声)、シ(詩)などのテーマで書いている。韓国語の解説というよりも、音感や文字の魅力、その言葉を駆使する作家や詩人たちへの愛情がほとばしる書。そして、アップダ(痛み)にも寄り添っている。隣の国といっても、日本が植民地として言葉を禁じた歴史もある。朝鮮半島で使われる言葉は朝鮮語と呼ばれていたのに、半島が南北に分断してしまい、言語の名前も分裂する。稀代の名君が作ったハングル文字の仕組みは、公式に活用されるまで何百年もかかる。作家や詩人は政治に翻弄され、弾圧や拷問にあい、若くして命を落とす。経済成長を急ぐ中で、格差が広がり歪みも生まれる。その激動の中で作家が心の奥から引き出した言葉を、日本語に翻訳しようとする著者は、2つの言葉のサイ(あいだ)にいる。「(言葉が)似ているからこそ、なおさら、小さな違いが気になるのだと思う」と、細かいところにも目を留めて、丁寧に気持ちをすくう。
本書は、創元社の「あいだで考える」シリーズの1冊で、斎藤さんは“サイ”に置かれて来た在日コリアンへの想いも書いている。

じつは私は、2年前に雑誌の企画で、異なる文化の“サイ”に生きる子どもに向けて、斎藤さんにお話を伺う機会に恵まれた。『はじめて読む!海外文学ブックガイド』(河出書房新社)という本を軸とした企画の中で、本を紹介してほしいという依頼に、Zoom越しにお会いした斎藤さんが深くしっかりと向き合ってくださり感激した。
さらに大きな衝撃を受けたのが、『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス)。斎藤さんが韓国文学を軸に、韓国を揺るがした大きな事件をたどり、歴史を遡る力作だ。それぞれの時代に作家が書かずにいられなかった気持ち、歴史の教科書では数行掲載される程度の事件が生んだ衝撃、そしてすべての根底にある朝鮮戦争が残した大きな傷…

斎藤真理子著『韓国文学の中心にあるもの』イースト・プレス、2022

斎藤さんが翻訳した多くの韓国文学作品のうち、私はまだ数冊しか読んでいないけれど、それだけでも今回の短いソウル滞在に大きな影響があったと思う。


韓屋街を歩く

日本語で書かれたソウル観光の情報といえばコスメとグルメ、イギリス版ではナイトクラブの情報ばかりだけれど、斎藤さんの著作や翻訳された小説のおかげで、ここまでの何世代もの葛藤を意識し、歴史に思いを馳せる場面がたくさんあった。昔ながらの韓屋街で偶然に入った小さな博物館で、ここに密集する韓屋は、日本に占領されていた時代に韓国の文化を守るためハングルの文字の形に建てられたのだと知る。小さな路地の雑貨屋で、「暑いでしょう」と水を飲ませてくれた、流暢な日本語を話すおばあさん。工芸博物館に展示されていたのは、ソウルが京城と呼ばれた時代に日本向けの土産物として韓国の工芸品が発展した歴史。鉄道好きな息子の希望で訪れた、日本軍が建設した線路跡にできた森の道公園。素敵なカフェやビルが並ぶ脇の路地には、小柄な私よりさらに小さな老人が集う。そしてすれ違う軍服姿の若者たち…。

京義線 森の道公園
廃線になった線路や駅が残る細長い公園


『隣の国の人々と出会う』には、斎藤さんが大学時代に韓国語(朝鮮語)と出会った頃に学んだフレーズが紹介されている。

「メミ ソリガ トゥルリョ オムニダ」(セミの声が聞こえてきます)。

そう、韓国も日本も、セミが鳴く、懐かしい国だ。

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