見出し画像

壁を見下ろす

「君ねえ、そうは言っても教師と生徒の間には越えてはならない壁があるんだよ」
およそ半世紀前、僕は某県の教員試験の面接に臨んでいた。
「君はどういう教員になりたいのかね?」と聞かれて
「なるべく生徒の視点に立てる教師になりたいと思います」と答え、
いかにも校長のように見える面接官に言われたのが冒頭の言葉だ。
「壁があるのは理解しています。しかしそれでも、なるべく生徒に寄り添いたいと考えています」などと続けたように記憶しているが、この議論は深くて暗い溝を生み、やがて僕は不合格通知を受け取った。
教員になる道を断たれた僕はテレビ番組を制作する会社に就職したが、そこでもある日先輩に「取材する側よりも取材される側のことを考えたい」と言って「そんなんじゃ取材にならないぞ」と笑われた。
しかしそこに壁があり、壁の向こう側に立てないのであれば、僕は壁を見下ろしてみたい。

そもそも教える側よりも教わる側、取材する側よりも取材される側を重んじたいと思ったのは、当時、僕自身が「研究される側」としてモルモット扱いされていた部分があったからだ。帰国子女として、「住んでいた外国と、日本と、どちらが好きか」「日本に帰ってきてどんなことに困っているのか」などというアンケートに答えさせられて辟易していた。そうした研究の成果として、いわゆる「帰国子女教育問題」がつくり出されていくさまを目の当たりにしていた。僕だけではない。同世代の帰国子女仲間の多くが、そうした状況自体に疑問を感じていた。僕たちは「帰国子女自身が自分たちのあり方を考え、互いにサポートし合うこと」を掲げて、メタカルチャーの会というネットワークを立ち上げた。なにしろモルモット本人たちが自分たちの言葉で声を上げ始めたのだから、マスコミも取り上げたし、アカデミズムもビックリした。
さらに数年がたちフリーランスに転じた僕は月刊『海外子女教育』という専門誌で記事を書くようになった。そこでおもに担ったのは、当事者である帰国子女本人たちに取材し、彼らの声を伝えること。自分自身が当事者であることは取材相手の共感を招くことも多く、そのうち何人かとの間には取材をきっかけに長く続く友情が生まれた。
当事者であることが取材者としてとても有利だったのは言うまでもない。しかし当事者であることにこだわりすぎると新たな壁が生まれてくるとも思う。まず当事者以外は関与してはいけない、当事者以外の者は当事者の声を伝えてはならないなどという壁をつくってしまえば、帰国子女教育の研究者の大半が排除されてしまう。さらに、帰国子女本人であるからと言って、それこそ千差万別の一人ひとりの経験を完全に理解できるわけでもない。僕はメキシコに住んでいたことがあるが、ヨーロッパやアフリカなどに住んでいたことはない。僕とは異なる年齢で海外に渡航し、異なる年数を過ごし、帰国した年齢も異なる人の経験とは違う部分も大きい。――そんなことを言い出せば、結局は自分のことを語れるのは本人だけということになってしまう。だとすれば、僕が取材して書いた原稿を、掲載前に取材相手に見せて検閲してもらうのがよいのだろうか。しかしそれでは僕が取材して書く意味がなくなってしまう。署名原稿である以上、書き手である僕自身のねらいもあれば書き方・伝え方もある。取材相手から僕が受けた印象、彼あるいは彼女の話から何を読者に受け取ってほしいかという選択や願いもある。それは取材を受けた当人の思惑とは違うこともあるだろう。もし僕が何か誤解をしていたとしても、僕個人のライターとしての力量を問われることはあっても、取材相手が好き勝手に書き直していいということにはならないはずだ。ライターが書く文章は、何をテーマに誰を取材したとしても、あくまでもライター自身の表現であり、結局はライター個人の人格を表現しているものだという言い方もある。ただし取材相手をダシにライターの意思を代弁させる原稿を書くのはもってのほかだと思う。

取材する側と取材される側。ここにも壁はある。しかし取材する側が取材される側をたいせつにしたいと思うならば、この壁もなんとか見下ろさなくてはならない。
「第三の視点」というキーワードを考えてみよう。僕はメキシコに住んでいたから、アメリカ合衆国という存在を見るときにかつてメキシコの領土を半分奪った国という歴史も考えることができる。日本とアメリカの二国間関係だけではなく、ラテンアメリカから見たアメリカと日本を考えに入れるだけで、視野が広がる。かつてチェコスロバキアに住んでロシア人学校に通っていたことのある日本人にこの話をしたら、大いに共感してくれた。東南アジアでアメリカンスクールに通っていた人も同様である。第三の視点は、どこにでもある。取材する側と取材される側の間に、たとえば読者あるいは編集者の視点を取り入れてみたらどうなるか?

メタカルチャーの会で話し合っていたなかにも、ヒントがあった。「メタ的視座」というキーワードである。「AかBか、ではなく、AもBも」「AとBを同時に俯瞰する(相対化して眺める)」「AとBを使い分ける・場面に応じて選べる」視座を持ちたいという発想だった。まさに「壁を見下ろす」ことにつながる。このキーワードが生まれたとき、AとBには「外国」と「日本」が入っていた。だが、ここに「取材する側」「取材される側」と入れてみたらどうだろう?「教える側」「教わる側」だって入れられるだろう。食事を「つくる人」と「食べる人」、音楽を「演奏する人」と「聴く人」、医療における医師や看護師と患者の関係、さらにはさまざまな場面で「支援する側」と「支援される側」などなど……。この「メタ的視座」も「第三の視点」の重要な一つだ。

どんな壁も無限に高いわけではない。ドローンを飛ばすまでもなく、壁を見下ろす視点を持つことができるはずだ。

by 古家 淳


この記事は、古家が2024年11月に第92回「グローバル化社会の教育研究会(EGS)」において「当事者の声を聴く……『 教える側』よりも『 教わる側』に立って」と題して話したものをベースに、新たに書き下ろしたものです。

ところで、メタカルチャーの会でリーダー的な存在だった袰岩ナオミが書いた本のタイトルが『壁が、透けてゆく』だったことを思い出しました。版元の筑摩書房のサイトを見ると、まだ入手できるようです。


いいなと思ったら応援しよう!

ぐるる
「ぐるる」の運営・維持は、みなさまからの募金によって成り立っています。 ここをクリックして、ぜひご協力くださいませ。 チップの金額は100円から、お気持ちでいくらでも!