体制転換後の国際社会復帰(1)
今でこそ、ポーランドが共産主義国であった事実は昔話となりつつあるが、体制転換からまだ30年程度しか経過していない。この間、共産主義・計画経済から民主主義・資本経済への大転換を遂行する同時に、EUとNATOといった西欧社会の枠組みへの復帰や、世界的潮流となったグローバル化への対応を迫られるなど、まさに激動の時代を歩んでいる。
前体制下の経済概要
約半世紀続いた共産主義体制の末期、80年代には経済の一部自由化も試されたが効果を表さなかった。旧体制下では、国営セクターがGDPの70%、工業生産の90%を占めると同時に、貿易分野においても相手国がソ連と東欧諸国に制限され、国家により完全にコントロールされていた。
需要・供給バランスも崩れ、日常品が慢性的に不足するという状態に陥っている。ハイパーインフレも出現し、主要取り引きでは米ドルが用いられ自国通貨ズロチの信頼性は低下の一途を辿る一方、競争原理が存在しない市場では、製品の質の悪化、労働意欲の低下を招き、サービス分野も発達しなかった。
こうした環境では国内資本市場も発達せず、外資の流入を期待できなかったのは当然といえよう。しまいには財政危機に発展するなど、あらゆるマイナス要素が噴出した。
経済安定化プログラムと国際機関への復帰
体制移行直後に発足した民主政権は、内政的には以下の点を柱とした経済安定化プログラムを実施し、対外的には国際舞台における信頼を取り戻す努力を行い、国家経済の早期再建を目指した。
「ショック療法」とも呼ばれた経済安定化プログラムでは、1)中央計画経済の完全廃止、2)マクロ経済安定化政策(インフレ抑制)、3)価格の自由化、4)市場の海外開放、5)為替自由化、6)経済活動の自由化、7)国営企業の民営化、が柱となった。
対外的には、「東側」の政治・経済体制との決別と西欧との関係再構築を明確に宣言し、1989年に欧州経済共同体と貿易・協力協定、1991年 には暫定欧州協定 の調印を実現している。その後、1995年にWTO、1996年にOECD加盟を果たした。新生ポーランドでは国際機関の復帰とともに経済の自由化も進んだが、同時にグロバリゼーションの波にも晒されることになる。