児童相談所 - 牢屋?人権なき生活
過去2回、東京の児童相談所に入れられた経験がある。子供達の生活は牢屋に入れられてるかのように、とにかく過酷だった。1日、1週間、1ヶ月と、時間が過ぎていく感覚がとにかく遅かったことを覚えている。実際、児童相談所での過酷な生活はどのようなものだったのか?児童相談所内には子供の人権があるのか?児童相談所の擁護組の人たちや世間は、どのようなことが行われているか、もっと経験者の声に耳を傾けるべきだ。
所内にいる子供は、日々のスケジュールが厳格に管理されていた。まず、朝の起床だ。起床時間に起きて、自分の布団を畳み、押入れに片付ける。畳み方が整っていないと職員に注意され、きれいに畳めるまで畳直しをさせられた。起床時刻に起きなかった子供は、職員によって無理やり布団から引きずり出される。俺もこれは経験済みで、とにかく朝起きることに慣れてなかったので、ほぼ毎日怒られていた。その後、部屋の外に出て、全員ちゃんといるか点呼が始まる。
起床後はラジオ体操が日課だった。ラジオ体操後、ようやく朝ご飯の時間。食事のイメージは、朝と昼ご飯は病院食、夜ご飯は学校の給食のようだった。朝ごはんを食べた後、学習ルームに連れて行かれ、そこで毎日国語や算数ドリルを勉強していた。職員が点数をつけてくれたり、教えてくれたりした。この勉強のスケジュールは、学校のような時間割のようだった。昼休みや勉強が終わった後は、体育館でドッジボールなどで遊んでいたことを覚えてる。
勉強後は、お風呂の時間だった。(ここは夕食前だったか後だったか、記憶が曖昧)お風呂は時間は部屋ごとのグループで入ることになっていた。当時から人に体を見られることが嫌いだったことから、あまり好きな時間ではなかった。入浴後は夕食の時間だ。夜ご飯のメニューはさまざまだったが、子供達に人気があったのは「カレー」だった。むしろカレーしかメニューを覚えていない。それだけ他のメニューと比べて美味しかったんだろう。
平日は就寝前に1時間ほど自由時間があり、好きなテレビを見たり、1台しかなかったパソコンを触ったり、漫画を読んだりして、子供達にとって唯一楽しめる時間だった。その後は就寝時間。21時ごろだったか、かなり早い就寝時間だったことを覚えてる。
児相での生活で一番辛かったのは日曜だ。日曜は自由時間もあれば、過酷な時間もあった。まず、平日よりも自由時間が長く、朝にやっていたアニメを見ることができた。しかし、アニメを見た後、体育館に移動させられ、毎週恒例のランニング時間が始まった。これがとにかくきつく、体育館のトラックを何百周もさせられ、止まると叱られる。また、悪さをした子供達は他の子供が体育館から出た後も何十分、何時間も走らされた。俺もこの経験がある。だからかなり辛かった。
この生活が耐えられず、中学生や少し年上の子たちは何度も夜中に施設から脱走を試みていた。もちろん、脱走してもいく場所はなく、警察に見つかり児相に連れ戻される。連れ戻された子たちは、まず警察に迷惑をかけたという理由(口実)で職員から殴られ、虐待を受けていた。その後、無理やり小部屋で生活させられ、毎日反省文を書かせられ、他の子供との接触を一切禁じられていた。今思えば、あれは虐待が外部にバレるのを隠蔽するための時間だったのではないかと推測している。殴られた傷が治れば、何事もなかったことにできるから。
俺も一度だけ小部屋に入れられたことがあった。それは、他の子供と喧嘩した時だ。止めに来た職員には、もちろん平手打ちで何度も叩かれた。その後、脱走組と同様に、反省室に何日か入れられた。とにかく狭くて暗い部屋で、職員に呼ばれるまでは外に出ることも許されなかったことを覚えてる。
全ての児相がそうでないとは思うが、これが力で子供達をコントロールしていた児相の実態だ。弱者である子供達は、大人(職員)が怖くて大きな声を上げることができなかった。いや、仮に声を上げたとしても、児相の所長や職員に揉み消されていただろう。そして、俺のようにPTSDになってしまった子も多いのではないか。もしかしたら今でも、このような被人道的で子供の人権を侵害するようなことが、児相で行われているのかもしれない。この現実から目を背けることはこれ以上できない。児相を擁護してる人、そして児相の実態を知らない人たちには、もっとこのことについて関心を持ってほしい。子供達がこれ以上傷つかないように。
そして、ここから俺の「大人」「自治体」「国」への不信感は始まり、ある出来事が起こるまでは、一切人を信用することができいなくなった。