【掌編小説】結婚指輪
長谷部史緒里は二人の男を思い出していた。
一人は、夫。もう一人は、昨日出会った 「八木真」だ。
史緒里に何やら不思議な「力」があることを見抜き、その力を伸ばすための場所に勤めているのだと言って名刺を置いていった。
…あの短いやりとりの中で、八木はどこまで分かったのだろうか。
昨日は酷く狼狽えてしまったが、よく考えてみれば、「全て」ということはないだろう。そもそも史緒里自身だって、「力」を使ったといい切れる自信はないのだ。
史緒里の脳裏に、真夜中に「おまじない」をしたときの光景と、今も自宅に隠されたビー玉、そして今朝言葉を交わした夫の姿が思い浮かぶ。
***
「ねぇ、わたしのどこが好き?」
「なに、朝から急に?どこかというとー…全部かなー!」
…いつもと同じだ。優しく美しい理想の夫。
きっかけに「力」を使ったかもしれない。
でも、あんなのはおまじないみたいなものだ。
「力」と呼ぶほどのものではないし、ましてや仕事に生かす?
もっとできることが増えるって?
***
「先生、ちょーーー考え事してるーーー」
不機嫌にみせかけつつも楽しげな少女の声に、史緒里は我に返った。
「ごめんごめん、でも、ちゃんと聞いてたって。ウー様兵役の話でしょ?」
「そう!もーマジ無理ーーー。
2年くらい会えないなんて無理。
生きている意味ないいい!今すぐ平和になって兵役中止して欲しい!!」
「そうねー。でも色々やってたら2年なんてあっという間に過ぎるから。」
彼女の大好きな海外アーティストが、祖国で兵役に就くため、しばらく芸能活動を休止するらしい。
兵役期間は2年。
16 歳の彼女には、再び会えるのは途方もなく未来のように感じるだろう。
…2年、か。
夫に片思いしていたのと同じ年月だ。
「先生また考え事してる!分かりやすすぎ!」
「え、そう?」
「先生はさ、何か考え事してるとき、ずっと指輪触ってるよ。ぐるぐるぐるぐる。」
「ええっ、ホント!?気が付かなかった〜」「いいなー結婚指輪。てか、結婚。早く結婚したい。」
「ウー様と?」
「ないない!ウー様への愛はそういうのじゃないもん。」
「そうなの?」
「ウー様への愛は、返ってくると思ってる種類じゃないもん。」
「返ってくる可能性がないのに、相手を想えるってわたしには考えられないなぁ」
「先生なのに?」
そう返されて、はたと気がつく。
わたしの仕事で「愛」は必要あるのだろうか?
「…恋愛の献身とはまた別。返ってこないなら…相手からの愛がもらえないなら…あげたくないかな。好きになったら、自分のものにしたいって思ってたな。」
「えっ、ちょっと怖。」
「あ、あなたくらいの頃はね??」
と、付け加えてマイルドに締め括ったが、本音では違う。
手に入れたいと思ったからこそ、そして粘れば手に入ると思っていたからこそ、2年過ごしていたのだ。
わたしの「力」は、わたしのためにある。
そう考えながら、また結婚指輪を触っていた自分に気がつく。
「力」を伸ばして、何に使う?
「…ほら、もうそろそろここでお話できる時間も終わりだから。行ってらっしゃい。」「無慈悲ー優しくなーい愛がなーい」
「愛の鞭でーす。」
生徒を相談室から追い出して、史緒里は鞄から八木真の名刺を取り出した。
「力」を伸ばしたとして。
相手を思い通りにする?
相手の心を読む?
いま、夫にできているように?
わたしの「力」は、わたしの「愛」のためにある。
「いらないな。仕事には。」
史緒里は左の手のひらの上に名刺を載せた。
結婚指輪の内側に埋め込まれたエメラルドに似た炎が名刺を包む。
「こういうことができるって知れたのは良かったな」
微笑んで、空になった左手を見つめると、結婚指輪が今日も美しく輝いていた。
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