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「自己中」「自分勝手」それが人間の本質でいいじゃないか。自己愛こそが他者愛を生み出すのだ。

親友が、ぽっと私に弱音を吐いた。

「今、余裕がなくて、自分のことで精一杯で、自分のことしか考えられなくて、身近な人に八つ当たりをしてしまうの。そんな自分が嫌で、また辛くなっちゃうの。」

“自分のことで精一杯”

“自分のことしか考えられない”

それでいいじゃないか。

私はそれこそが人間の本質であり、“自分軸”であるための一歩、他者に愛を持てる近道だと思うのだ。


「自己中」「自分勝手」それが人間の本質でいいじゃないか

“自分のことで精一杯”

“自分のことしか考えられない”

これは一般的に「自己中」「自分勝手」と言われ、懸念されることが多い。

誰が決めたのかはわからんけど、一体“自分のことだけを考える”ことの何が悪いのであろうか。

「自己中」「自分勝手」という言葉にすると聞こえは悪いけれど、見方を変えてみれば“自分としっかり向き合える証拠”でもある。

自分のことしか考えられない、自分のことで精一杯、そんなときに「私は自己中で自分勝手なんだ」と自己嫌悪になる必要なんてない。

そういうときこそ自分自身と向き合えている証拠なのだし、人間の本質であり、自分軸でいられている証なのだ。

そんなときは「相手に八つ当たりをしてしまう」「相手のことを考えられない」「人に優しくできない」それでもいいと思うの。

しょうがないよ。人間だもの。

自分の人生に必要な人は、そんな余裕のない自分にも必ず寄り添ってくれるし、そういう時は周りに甘えたっていい。

他人を考えるときは、また自分に余裕が出たときでも遅くない。

自分自身にしっかり愛を与えることができたからこそ、余裕が出てきたときに他人に与える愛も真っ直ぐな感謝となり、相手に大きく伝わり、届くのだと思う。


「自分のことに精一杯で余裕がない」そんな時こそ自分の本心に気付くチャンス

自分のことで精一杯で余裕がないって時、自分は自己中でどうしようもないやつだって自分のことを責めるのはダメだ!!!!!!

そういうときこそ自分自身と向き合い、自分の本心に気付くチャンスなのだ。

この生きづらい世の中を生きていると、次第に自分の本心に気付けなくなり、自分らしく生きる道から遠のいてしまう人が多い。

自分の本心に気付き、それに従って生きることは決して簡単なことではない。

自分らしく生きるためには、多少なりとも傷付く必要があり、傷付くことが怖いから、気付かないふりをして逃げてしまう。

もちろん逃げることも時には必要な事であり、それが自分への愛になることもある。

けれど、逃げてばかりではやっぱり、その先には進めない。

進んだその先に、自分らしく羽を伸ばして生きられるという幸せが待っているのだと思う。

ダイヤモンドが削られて磨かれ研磨されて輝くように、人も傷付いてこその次の輝きがある。

ダイヤモンドは原石だと濁ったままだけど、削り、磨くことで、輝きが増すのと、人間の人生も近いものがある。

“自分のことで精一杯で余裕がない”

そんな時は、一歩進めるチャンスだと思って。


結局、自己愛こそが他者愛へと繋がるのだ

「自己中」「自分勝手」は言い方を変えると「自己愛」にもなる。

これだけの言葉だとイメージはどうしても悪くなってしまうかもしれないけれど、私は結局のところ、自己愛こそが他者愛や無条件の愛に繋がるのだと思っている。

いつでも、どんな私をも肯定してくれる友人がいる。

そんな彼女に「なんでいつも私のことを肯定してくれるの?」と聞いたとき、こんな言葉が返ってきた。

「自分が気持ちよくなれるから」

その時はつい笑ってしまったけれど、この一言は彼女の人間らしさと人間の本質を映し出している。

結局、自分の気持ちよさ・心地良さを知っていて、自分を大事にできる人は、他人への気遣いも上手である。

自分軸で自分らしく生きていれているからこそ、自分に余裕があって、人の気持ちがわかり、人に寄り添うことができる。

反対に自己愛がない人は自分に余裕がないから、他人にも愛を向けることができない。

そう、自己愛こそが、他者愛を生むのである。

「自分を大切にしよう」「自分を愛そう」

今この世の中を生きていると、何度も耳にする言葉だ。

簡単に言うけれど、実際は難しい“自分を大切にする”“自分を愛す”ということ。

自分を大切にすることが、他人に愛を与える近道になる…

そう思うと、少しずつ自分に愛を持てるようになるのかもしれない。


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