大日月地神示を知った知人から「天理教の教えと似てるよね!」と聞かれたので、私の理解するところを応えてみた。
「ぇっとね、1つづつわての理解してる範囲で答えると
①おふでさきの『から(唐)』とは、神の教え=真理を知らない者の中でも非難や反対をする人たちのことで、当時は農民レベルにそれを理解してもらうために『神の真理を知らない唐人(渡来人)』という比喩で説明した。
※なので『から』は巷で噂される闇勢力やDSとの解釈は反発しない論理かと思われる。(←知人から質問されたので合わせて返答)
②『大日月地神示』の素(=共通の神)は『日月神示』かと思われるので、もし日月神示の考えだとしたら、天理教の教えと似ているのは必然かと思う。
(以下、わての考え)
かれこれ7年前くらいに日月神示の原文訳を読んだ時、最初に訪れた直感が
『これは「男神くにとこたちのみことが書(自動書記)いた」んやな!』
大神とその眷属神
日月神示で何度も書かれる『大神』は、お道が信じる「親神天理王命」のことだと思われます。
お道の場合は依り代が「おやさま=女神いざなぎのみことの魂」だったので、メインで神降りしたのは「女神をもたりのみこと」であった。
そして「刻限々々のお話を取り次がれるおやさまは畏ろしかった」と、おやさまの娘たち=こかん様やまさ様が述懐しておられるように、たびたび「男神くにとこたちのみこと」または「大神」が「われは天照皇の大神宮(アマテラスオオミカミ)なり」と刻限話をおやさまを通して伝えている。
眷属ごとの表現の差異
元の大神はお道も日月神示も同じだけれど、メインで出てきている眷属神が違うので、メッセージの表現の仕方に違いが出ている。
日月神示を読むと非常に男性的な力強く厳しい表現が比較的多い。
一方お道のみかぐらうたと、その神楽舞は柔らかくしなやかで、女性性を表現している。
※ちなみに大日月地神示は、まだ少しの原文訳しか読めていないのでハッキリとは言えませんが、男女混合のバランスが6対4で男性性が強いかな、と感じています。『ジェンダーレス時代が叫ばれるのも、神降りする眷属神の影響かも?』なんて妄想しています。
自動書記は男神の仕業?
ちなみにお道の自動書記「おふでさき(御筆先)」は、男性的な表現になっているので、日月神示もおふでさきも、『自動書記』と呼ばれるものは男神が表現する方法なのかも知れません。
例)「よろづよ八首」の差異
・みかぐらうた
むねの【わ】かりたものはないから=胸の分かりた者はないから=神の親心を理解しようとする者はなぜいないのだろうか
・おふでさき
むねの【ハ】かりたものはないから=胸の図りた者はないから=神の考えを推し図り、理解できるものがなぜいないのだろうか
となり、表現に男性性・女性性の違いが出ている。」
※あくまでわての知識内での仮説です。