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「雪で閉ざされる前にもう一度」~能登現地入り支援第4回~

「つぶれた我が家を前に『たすけて』とは言えず『大丈夫です』ばっかり言っていました。『大丈夫じゃないですよ』と言われて、初めて『大丈夫じゃないんだ。助けてもらってもいいんだ』と想えたんです」

ある被災者のひと言

いつも支援してくれるみなさん、妻、家族へ感謝を最初に。ありがとう。
11月13~14日と再び能登へ行って参りました。

■約束がすべて

キッカケは冒頭の被災者さん。

9月初旬に第三回目の現地入りをした後、豪雨があり、先立つものは少ないけど、スタッドレスのないうちの車、なんとかもう一度、雪が降る前に能登へ行けないか?と考えてた矢先、10月26日の天理教本部秋季大祭にて、総祈りの後、結界内を歩いていると

あの人見たことある。きっと来てくれた人だ!

と囁く声が…振り向くと、珠洲ひのきしんセンターで毎日ボランティアの受け入れとお世話取りをしてくださってるご婦人Aさん

私「帰ってこれたんですね!」※①
A「おぢばに帰ってこれました!今も真柱様(※②)から能登の話をしてくださって、勇んで帰れます」
私「そうですね!これでまたお道(※③)の目線が能登へ向きますね!私もまた行きます
A「ぜひ!お待ちしてます!

※①:天理教では聖地ぢばが人類発祥の生まれ故郷なので「おぢばへ帰る」と表現する
※②:役職名、天理教全体のリーダーの呼称
※③:天理教の別名、信者間での愛称

約束したからにはすぐ行かねば!と、スケジュール帳と予算を見比べっこして、教会住み込み人と相談し、翌10月27日には計画を発信。残念ながら日がイマイチだったのか、2名の参加者でしたが、

「やれることは必ずある。とにかく行こう!」

と11月13日正午、お願いづとめ(祈り)をして能登へと旅立ちました。

■初トラブル発生

「佐藤さん、道も混んでなくて、前回より調子よく現地に着けそうですね♪行きがけに渚ドライブ沿いで、ちょうど夕陽が沈むのに間に合うんじゃないですか?」

同乗の参加者Tさんのネアカなコメント同様、本当にスムーズに出発→移動を続けて、夕暮れ前に金沢に到着

「Tさん、金沢で給油したら、帰り給油なしで珠洲から京都市まで帰れますから、ガソスタ寄ってください」

これまで通り、インター降りてスグのいつものGSへ。

セルフ給油機を操作し、何気なく車の給油口への外装板を開けようとすると…

あれ…開かない…

なんどやっても開かない。
うちのワゴン車は停止して、ロック解除すると自動で給油口への外装板の電子制御ロックが外れる仕組み。

でも開かない。
マニュアル読んでやっても…
メーカーの問い合わせへ電話しても…
JAFを呼んで対応してもらっても開かない…?!

JAFのお兄さんも一生懸命してくださるものの…

金沢のガソリンスタンドへ到着してすでに2時間
現地入り支援4回目にして初めての大トラブルに…

「Tさん、相談があります。残りのガソリンで珠洲までは行けるだけありますが、珠洲で給油できなければ車を置いて途方にくれることになります。今の量なら京都市まではなんとか帰れます。せっかくここまで来たんですが…今回は断念して帰らなくては行けないかも知れません…

参加者さんと暗い面持ちで顔を合わせて諦めようとしていたその時…?!

ヘイッ、ヨー?なに?開かないの?給油口?ワイヤー切れた?ボクその車、前にバラしたことあるから見ようか?

電灯以外には真っ暗となった金沢のGSで悪戦苦闘と悲劇の様相を呈している私たちの目の前に現れたのは、なんと暗闇を陽気に照らす大柄の白人さん?!

白人「ん?なにこの車、ワイヤー式のじゃないんだね、電子ロックか。外からこうやっても開かない?」
JAF「開かないんです。」
白人「ん~、じゃぁもう中から剥がそう」

そうして慣れた手つきでバコっバコっっと、樹脂製の内装を剥がしていく陽気な白人さん

白人「ん~、狭いなぁ、あ~、ここだね。じゃぁココをこぉちょっと外してしまえば…ぇい!!、よし、外れた!(JAFの)お兄さん、給油口開けてみて」
JAF「開きました!」
一同「ぉおおおおおお!」

金沢到着2時間半、ねばって粘って、ねばったお陰か?神様が、困り果てた私たちの下へ、陽気な白人の天使(?)を遣わしてくださいましたよ!!

私「せんきゅ~~~~!!ありがとう!これで珠洲へボランティアに行けます!ありがとう!もう諦めかけてたんです!本当にありがとう!!
白人「よかったねぇ、石川をよろしくねぇ。それじゃぁ」

と、『オレの仕事は終わったゼ』とばかりに颯爽と帰ろうとする白人さんを呼び止めて

私「支援者さんへあなたのことを報告したいので写真一緒にお願いします!後これ、なにも渡せるものなくて、ずっと車で待っててくれた奥さんと食べてください!」

と、支援者さんから「道中で食べて下さい」と預けられていた、美味しいおせんべいを全部、美人の奥さんに渡して、走り出す車へ頭を深々と下げ、お別れをしました。

Tさん「ぁ、名刺とか貰っておけばよかったですね。名前もなにも聴いてない…後で御礼のしようがないですね。」

本当にイカしたナイスガイな白人さんでした。

なも語らぬ、あなたのお陰!

■「わたし珠洲出身なのよ」

私「Tさん、現着してから夕食予定でしたが、ここから現地まで2時間ちょい、今、夜9時近いので腹ごしらえしてから行きましょう

と、最寄りのラーメンのある居酒屋へ。

私「奥さん、ラーメン2つ」

常連さんばかりの雰囲気かもしだす店内で、『一見さんやな』という視線を受けながら、女主人に注文。ほどなくしてアツアツのラーメンが届くと…

私「私たちこれから珠洲へボランティアへ行く所なんです。さっきそこで車がトラブルって、もう食べてから行こうってなってここに寄ったんです。」
女主人「?!ぇ?!あんたら珠洲にボランティアに行ってくれんの?私、珠洲の出身なのよ!兄家族も残ってるの。」

なんと不思議なご縁で、まさかの珠洲市出身。

女主人「ありがとう。あんたら行ってくれるんやね。ラーメン食べてちょっと待っててね」

そういっていったん厨房へ下がった奥さん。

女主人「あんたぁ!このお客さん、珠洲へボランティア行ってくれるんやって!なんか作ったって~」

そういうと、板前の旦那さんが「はいよ!」とばかりに手際よく…

女主人「これも食べ、これも食べ。ご飯もどうや?おかわりしてや」

あれよあれよと言う間にどんどん料理を運んで下さり、お腹いっぱい食べて

女主人「これウーロン茶2L3本、これもあっちで使って。珠洲を頼むね、よろしくね」

そう言われて、寒空の金沢に心温まるエールをいただいて、見送られることとなりました。参加者Tさんと「神様はたらいて下さってますね♪」と、車のトラブルにも諦めずに粘ってよかった。「これは何としてでも珠洲で人だすけしてこいと、日本海へ追い神風が吹いていますね」と話し合いました。

思い出せないほど能登弁が強烈な女主人から大量のエール

■現地にて写真撮るのも忘れて

結局22時半頃に現着し、珠洲ひのきしんセンターで抱えている宿舎で一泊の後、翌朝、ひのきしんセンターのある天理教實立(ほうりゅう)分教会の朝づとめ(朝祈り)へ。

?「あ、佐藤さんや。おはようございます。」
私「おっ、アキオくんやん。いつから来てんの?」

そんな僥倖な挨拶を交わしたのは天理教繁藤大教会の坂本会長。本人は3回目の現地入り、繁藤隊としては5~6回目の現地入りということで、6名の有志を連れて珠洲へ来られていました。

繁藤の前会長さんも初の現地入り、コロンビア人2名と肩を組んでスマイル♪

彼らと一日を各現場で過ごし、
①仮設住宅への家具の運搬
②押しつぶされた建物内から持ち主が生活に必要な物品の取り出し
③倒壊した建物から救出した高級ピアノを公民館へ寄贈する運搬作業
④地震と洪水から命からがら倉庫へ詰め運んだ物品の整理
⑤落ちかけた屋根を解体するための足場を組み立て

などなどに一日を費やせていただきました。
途中寄った仮設トイレでは必ず一拭きの簡易清掃も心がけました。

地震で倒壊し、9月22日前後の豪雨で水浸しになりながら倉庫に投げ入れたそうです
仏壇から仏さま救出!
建てた足場、頭上のビニール屋根が壊れて落ちそうなので解体

■後日談

現地から帰ってきて2週間後の11月26日天理教本部月次祭のあった日にもまた、能登の西沖で震度5の地震がありました

あの日から365枚、一枚もめくられていない日めくり
発災当日から抜け出せない車、ナンバープレートだけ外されていました

深夜、奈良県の天理市で寝ていた私が目覚めるほどの揺れに、

『私たちは都合つくときにたまに現地へ行ってボランティアするだけなんだ…住まうA婦人やその他の人たちは、こんな強い揺れがいつ起きて、洪水も含め復興したものがまた振り出しに戻るかもしれない不安と恐怖の中、今なお、この深夜に肚を決めて残っておられる。また行かせてもらわねば。後10年は通わせてもらおう。』

そう想いました。

2月に初現地入りしてブルーシートを張った屋根は修復が終わった模様
「必ず再開します!」6月に活動したお店「寿し𠮷」は未だ閉店中

最後に~あなたへ~

どうか、これを読んでくださったあなたに、お願いがあります

こういった情報を発信、拡散したり、必要物資・支援金&義援金を送ったり、現地に行けなくとも現地入りする人たちへの後方ならびに広報支援をしたり、もちろん現地へ行けるときはぜひ行って、日本中が被災地・被災者を忘れないよう協力していただけないでしょうか

メディアはお金にならないからなのか?ほとんどもう能登のことをニュースで取り上げなくなりました。発災3ヶ月目でもうそんな状態でした。異様に早かった。きっと東北震災の時ほどの死者じゃなかったからなのかも知れませんが、被害は東北なみ、復興への道のりはそれ以上かもしれません

Tさんと夕暮れ
コロンビア人と突き上がったまま放置されたマンホール
174cm私の目の高さほどなんです

普段の何気ない友人知人との会話で、ちょっと話題にするだけでも現地に住まう人への支援に必ずなります。

現地へ行ける者は行って、行けない人は行けないからこそできることに心を出す。あなたの協力があれば必ず、現地に笑顔が再び、サンサンと溢れると、私は信じています。

どうかあなたのちょっとした想いを、形にしていただけたら倖いです。

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佐藤グレン《エッセイスト宗教家》天理教
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