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骨盤狭窄症、脊柱管狭窄症の方が助かった話〜天理教おたすけ体験談〜
神さまは言われました…
あんたの救かったことを、人さんに真剣に話させて頂くのやで。
つまり実話、体験談を話すのが何よりの人だすけだと。
今日の話はまさに先ほど起こった不思議な救かり話。
本人の許可を得て広くお伝えしようと思います。
さぁ、はじまりはじまり〜
S婦人
世に病気と言われるすべてのものは神様からのメッセージ。心の成長や修正のための愛情であるそうな。
ゆえに心変われば病気は失せる。
これが真理であるそうな。
ここに長年の病気に苦しむ老婦人がいた。
S婦人である。
1年ほど前から、不思議なご縁で教会に通うようになった。
S婦人は不遇な人生を歩んできた。
母親は離婚後、新たな旦那を迎え、その旦那は優しかったのだが、母親からは奴隷のように扱われ、アレルギーのある食べ物をわざと食べさせられる、いわゆる虐待にもあっていた。
母と新しい父との間にできた種違いの妹たちからは
「あんたは兄弟姉妹やない。写真に一緒に映らんとってー!」
と家族扱いされなかった。
小さい頃から掃除、洗濯、食事、ありとあらゆる家事を言いつけられ、大人になって美容師になるも、給金のほとんどを母に奪われた。早朝から深夜まで働いても暮らしは豊かにならなかった。
それでもなんとか独り立ちし店を構えるまでになった頃、母に勧められた縁談を渋々受けることになった。
嫁入りした新たな家で、S婦人はふと悟った。
「ぁ…私きっとこの家で3年も暮らせへんわ。」
結婚3年目に危機が訪れる。
人がいいだけの主人は仕事に失敗し多額の借金をこさえて自己破産。S婦人は自らの店で稼いだすべてのお金に加え、友人からも借りて当座を凌ぎ、それからも苦しい返済の日々が続くことになった。
もちろん嫁入りの時の家は手放すことになった。
計らずもあの時の直感は現実のものとなる。
最終的にはすべてをS婦人の力で返しきったのだが、当時を振り返る婦人はこう語る…
「正直言うてな、あの時はホンマに苦しかった。我が子の首をひねって自分も死のうかとなんべんも考えた。」
ひとこと(一言)話
そんな当時、S婦人の美容室に通い詰めていたのが私の祖母である。
苦しい時代のS婦人に髪を結われながら、祖母はいつもひと言ふた言、アドバイスらしき話をしていたそうな。
それがその時のS婦人の心の支えとなり、「死なずに今が在る」と彼女は言う。
そんな遥か50年も前の縁が、巡り巡って今、当教会へ足しげく通う不思議な繋がりとなる。
そして50年を経た今、祖母から受け継がれたかのように、私もひと言のお話をさせていただくご縁となる。
勇気がいるもの
S婦人は長年、骨盤狭窄症と脊柱管狭窄症により、両足が痺れていた。朝、目が冷めたら足がこむら返りのように吊るのである。
この一年、この病気が平癒するように祈ってきたが、快復はままならなかった。
何が足りないのだろう…
すへての病気の元は心である。足りないもの、それはは心の向きを変えてもらうための『ひと言話』だった。
真剣な『ひと言話』には勇気がいる。
なぜなら相手の癖、つまり触れられたくない部分、目を背けてる部分を話題に上げ、本人に見つめ直してもらうよう促していかなくてはならないからだ。
がしかし、私はこれまで話はしてはいても、勇気が出きらなかった。拒絶され嫌われるのが怖かった。それに単純に自信がなかった。
ただ、人の病気をなくしまくっている師は、そのひと言のお話で、癌でも、パーキンソンでも、失明でも脳梗塞でも何でも目の前でなくしてしまわれる。
師いわく
「私が治してるんじゃないですよー。あなたの心が変わったから、神様が救けてくださっただけですよー(笑)」
そんな師の姿を見ていると
勇気を出さなければ救からない
と思うには十分だった。
そんな折、S婦人が事件を起こした。
強みと弱み
素直と頑固が背中合わせのように、強みと弱みも表裏一体である。癖も見せ方、使い方で才能に転じることができる。
S婦人の強みは髪結いと料理である。
幼少の頃よりご飯作りを母に言いつけられていたS婦人は、長年の積み重ねと天賦の才で、アマチュアながらプロ顔負けの和食を提供してくれる。
「私、お金もってへんやろ?人に喜んでもらおうと思ったらコレ(料理)しかないねんw」
彼女は強みを活かして料理を作る。
ダシのよく効いたハモのお吸い物や百合根の小料理など、実に美味しい。
S婦人の作る料理のお陰で私のチビっ子たちは茄子にコンニャク、カボチャなど、それまで嫌いだったお野菜が大好きに変転するほど、美味しい料理を作ってくださる。
「口を満足させるのが楽しいんよー♪」
しかし、彼女の弱みもまたその「口」であった。おせっかいが災いして、本人は知らず知らずの内に、人を「口撃」することがままあった。
ある日、事件が起きた。
その日は当教会の月次祭で、珍しく大きな(ほんとに大きな)天然鯛が2尾も御供えされていた。
祭典後の食事会(直会)で、焼き上がったその見事な鯛を前にして、S婦人の「口撃」が散弾中のように火を吹いた。
S婦人「そんな骨の取り方じゃあきませーん!こうするんですー!」
O若婦人「ぁ、じゃぁ、もうS婦人お願いします」
S婦人「あかん!あんたがしなさい!違う!そうじゃない!もう!」
「口撃」がエスカレートするS婦人。
「口撃」されるO若婦人。
あまりの激しさに場が凍りつく。他人の前では決して怒らないO若旦那も妻を守ろうとして声を荒げる。
珍しく【カオス】だった。
妻と私で場を落ち着けるべくフォローをし、その場は納まったが、納まらないのはO夫婦とその他信者である。
翌月の月次祭、つまり今日の直会でも尾を引いて、だれも魚に手を付けようとしない。お魚に目がないT婦人でさえ、私が取り分けるまでは魚に触れようともしなかった。
これはマズいな
さぁ、真剣なひと言話の心が定まった。
お救けはお救かり
夕の祈りを終えたあと、残っていたS婦人に声をかける
私「Sさん、おさづけ(快癒の祈り)させていただきましょうか」
S「ありがとうございます。お願いします🙏」
私「Sさん、足の痺れの元は、以前、首と言っておられましたね?」
S「いや会長さん、今は骨盤狭窄症について脊柱管狭窄症が主な原因です。」
私「そうなんですね。ふむ、どちらも『骨』ということですね?」
S「はい」
私「骨の病気はみな『他人を立てずに自分を立てている心』が原因だと神さまは仰ってます。心当たりはありませんか?」
S「死んだ旦那のことかもしれませんねぇ」
私「そうですか、旦那さんですか。」
S「でも会長さん、今はあの人の世話せんくてよくなったんで、毎日感謝してるんです。」
私「そうですか、それはいいことですね。毎日、御霊さん(墓前)にその感謝を伝えていれば供養になるでしょうねぇ。」
S「はい、毎日感謝して祈ってます。」
私「だったら、死んだ旦那さんのことは今、立てれてると思いますよ。生きてる人で誰か立てれてないなぁと思い当たる節はありませんか?」
S「…誰か…立てれてないんでしょうねぇ?」
私「Sさん私ね、先月の事件が引っかかってるんです。」
S「??? 事件ってなにかありました?」(あれだけの騒ぎになっていたのに本人は大事だと受け取っていなかった)
私「ほら、先月の直会のお魚の」
S「あ?!アレのことですか?!」
私「そうそう。Sさんはウチの教会に訪れるようになってまだ1年でしょう?なんぼ相手が若いからと言って、あれは言い過ぎやなぁ、相手を立てれてないなぁと。」
S「言い過ぎてましたか?!申し訳ないぃぃ(後悔の涙)」
心に響き出したと感じ、次のように話していきました。
私「今日の祭典講話でも話しましたけど、なんにでも強みと弱みがあると思います。例えばうちの教会であれば人も物もお金も潤沢にあるわけじゃありません。でも立地や、この高級住宅地域でこれだけの広さを有している。数は少ないですけど、遠方から参る熱心な信者さんたちが残っている。見方を変えれば弱みでもあり強みでもありますよね。」
S「そうですねぇ」
私「Sさんの強みといえば、長年の経験と積み重ねによる『料理』やと思うんです。」
S「はい、私お金はないからせめて料理で口を満足させてもらおう、それが私の人だすけやと思ってます。」
私「そうでしょう。実際、Sさんの手のこんだ珍しい料理で、直会や食卓に華が咲く。私含めみんな喜んでると思います。ただね、Sさんの強みである人を満足させてるその『口』の、悪い方が出て『弱み』になってませんか?(Sさんの顔の口に指をさす)」
S「私のこの口、キツイ言い方になってたんですね?!」
私「そうですねぇ。他の皆さんあの日はおろか、今日も魚には進んで手を触れようとされませんでしたからねぇ。せっかく料理で人の口を満足させてるのに、自分の口で相手に不足させてたら、せっかくの強みが台無しやと思いませんか?」
S「思いますぅぅ😭申し訳ないぃぃ」
私「私ね、Sさんの料理はプロ並みやと思ってるんですけど、Sさん自身も『プロ』になったらどうかと思ってるんです。料理のプロはお料理を出すまでは全力でするけど、お客さんの前に出したら口をつぐむでしょ?あとどう戴いてもらうかはお客さんにお任せで、お客さんから『これどういう風に食べるのがいいですかー?』とでも言われない限り、一切口を挟まない。それがプロの料理人やと思うんです。」
S「ほんま(その通り)ですね。」
私「Sさん、お料理と一緒でね、塩はいき過ぎたら塩っぱい。(顔のお口を指して)塩は控え目のほうが美味しく食べれるんじゃないですかねぇ?」
S「?!!その通りですぅぅ、控えますぅぅ。」
私「『見るも因縁、聞くも因縁』と神さま仰いますから、私も要らんことたくさん言うてるんやろなぁ、親を形だけで、心からは立てれてないなぁとSさんを見ていて大いに勉強させられました。ありがとうございます🙇♂」
S「いえ、会長さん、私、こんな(性格)ですから、言われんと分からんのです。これからも気づいたら都度々々言うてください。お願いしますぅ🙏今日はほんに救けていただきました、ほんまその通りです。強み(料理)は控えず、弱み(口)は控えて行こうと思いますぅ。」
私「お互いに😉」
心が定まったところで、お祈りさせていただきましたらアラ不思議。足の痺れがな〜いじゃあ〜りませんかぁ♪
S「会長さん、ありがとうございます。今日はほんとにありがとうございます🙇♂また教会に寄せさせていただきますから、どうぞよろしくお願いしますぅ。」
そう言って、21時の鐘のなる頃、まもなく80歳のS婦人は、何度も振り返っては、笑顔で手を振って帰路につかれていきましたとさ。
親友のような感覚
おたすけとは人を元気にすることだと思っています。
笑顔にすること、と言い換えてもいいです。
そしてたすかるには心を見つめ直す必要があります。
独りでは頑なな心も、他者からの、相手を想う真剣なひと言話で氷解し、雪解けが訪れる。
2人と神との三つ心が通じたその時に
まるで春の訪れのように
新学年で運命の出会いがあるように
まるで親友のような『信頼感』が、
不思議と互いに芽生えます。
あぁ、これが神さまの言う『世界一列みな兄弟姉妹』の感覚なのかなぁ
拙い体験談を最後までお読みいただきありがとうございます。
この『ひと言』の話が、
誰かのたすけになりますように
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