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《読書日記》【勝手にふるえてろ】綿矢りさ

《あらすじ》

私には2人の〝恋人〟がいる。大好きな〝イチ〟。中学生の時の初恋の相手だ。イチの全てが好き。イチのことならオールオッケー、何でも許せちゃう。〝ニ〟は大人になってから出会った。私のことが好きな、〝ダサくて、つまらない男〟。理想はもちろんイチとの結婚。でも現実はそう上手くはいかない。好きな人と好きになってくれる人、私はどちらを選べばいいのだろう…。

《恐ろしい理解り手、綿矢りさ》

この物語を読むと、ばっちーん…と頬を張られたような気持ちになる。文章が鋭い、とにかく鋭い。何一つ逃さない。ハンターのような文章。「こうでしょ?こうなんでしょ?」全部図星。読者は全部理解ってしまう。その感覚、その感情、知ってる。味わったことある。人生で。

《〝彼の自由を愛せない〟》

結婚すればお互いに〝自由〟が訪れる。恋愛が波乱万丈なら、結婚後は凪のような生活が待っている。そんな中で、相手の自由を愛してあげられないなら、生活はうまくいかないだろう。でも私は、彼女のその気持ちが痛いほどわかるのだ。好き。好き。好きだからこそ、その分失うのが怖い。だから縛りつけたくなってしまう。愛している人に対してさえそうなのだから、本作の主人公ヨシカの〝イチ〟のように、自分のことを愛していない相手と結婚なんてしたら、相手の自由なんか愛せるわけがない。毎日不安で不安で仕方ないだろう。その人のことが一番好きで、愛していて、一緒にいたいのに、彼ともし結婚したら不幸が待っていることが容易に想像できてしまう関係。しかしそれは自分の気持ちのせいで起きている現象だから、やりきれない気持ちだし、だからといってコントロールがまるできかず、どうしていいのか全く分からない。好きの気持ちが2人の関係の障害になる時、一体どうすればいいのだろう…。

《〝イチ〟と〝ニ〟。2人の男性のコントラスト》

ヨシカの愛しい愛しい初恋の相手、〝イチ〟はめちゃくちゃ美化されて描かれている。彼女の妄想癖なところもよく表されているし、少々気持ち悪いのも、恋は盲目を地でいっているようで、読んでいて恥ずかしいのがとても良い。一方で、彼女に一生懸命アタックしている〝ニ〟は、彼女がどこか彼を見下しているからか、〝ダサくて、つまらない男〟という印象をこちらにビリビリとあたえてくるような描き方である。女性というのは関心のない男性に対しては、とことん残酷になれる生き物なのである。そんななかでも一番酷い点は、そのようなことを思っているのにそれをおくびにも出さず、完璧な笑顔で、相手が望んでいる言葉を与えて完璧な受け答えができるところだろうか。女性は怖いのだ。女性のみなさん、綿矢りさに見抜かれてしまいましたね…。

《自分の好きな人と自分を好きになってくれる人》

好意を向けられていた時は平気でぞんざいに扱うのに、自分が孤独になった途端それに縋りつく。ぜいたくは言ってられない。孤独を埋めてくれるものなら、なんだっていいのだろう。何もかも持っていた時は、彼じゃないとだめだと思っていた人がいたはずなのに、何もかも失った時は、選り好みなんてしていられないから。ゴミのように扱っていたものでさえも、輝いて見えるのである。著者はどうしてこんな女の子が描けるんだろう。みんな、身に覚えがありすぎるのではないだろうか。人それぞれだからわからないけれど、私はヨシカにとても似ているなと思った。まるでお説教を受けたような気分である(笑)

《愛のテトリスゲーム》

物語は意外な結末を迎える。恋愛、結婚とは愛のカタチのぶつかり合いで、いつでもテトリスブロックのように、お互いのその時々の最適のカタチを探り合い、妥協しながら、愛を作り、積み重ねて、天井につかないように少しずつ消していくような…そんなイメージが結末を読んで湧いてきた。これからもヨシカはやっかいなブロックばかりを出すのだろう。そして最後に選んだ相手をいつまでも困らせるのだろう。あまりそれを続けていたら、天井にブロックがついてしまうけど、彼女はその時に合わせた、相手を思いやるカタチのブロックが出せるようになるのだろうか…。

〇コラム〇

《勝手に評価》★★★★星4つ
ヨシカの愛の重さが気持ち悪いなあ…あれ?でもなんかこの感覚知ってる…と思ったら自分でした(笑)根拠がまるでない〝もうこの人しかいない!〟という思い込みとか、傲慢で自分勝手なところが、自分と重なり、読んでいてヒリヒリと痛すぎる一冊でした…でもそれも快感(?)。

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