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《読書日記》【くるまの娘】宇佐見りん

《あらすじ》

 かんこは家族と、久しぶりに車中泊の旅に出た。子供の頃、よくそうしていたように。父、母、兄、弟…車を走らせるごとに蘇る、二度と戻れない過去の思い出たち。衝突、暴力、残酷な言葉…閉塞感の中で浮き彫りになっていく、どうすることもできない家族間の歪み。自分たちの〝歴史〟に追いつめられていく娘とその家族の辿り着く結末とは…?
 「推し、燃ゆ」の衝撃から約一年半。現代社会を生きる人々のままならなさを、家族という呪いを通して鋭く描いた、大注目の芥川賞受賞第一作。

 

 

《歴史という絵具、家族という絵画》

 家族というのは集団だが、見方を変えれば一人の人間の集まりだから、思想の集まりであり、主張の集まりであり、〝自分〟や個人というものの集まりである。そして一番忘れがちなのが、〝歴史〟の集まりであるということである。各々の歴史はいつも、言葉や行動で表される故にわかりやすい、思想や主張の後ろに隠れている。しかし、実はその思想や主張は、歴史によって作られていることが多い。だからこそ歴史は、個人の集まりである家族という関係性の重要な部分を占めているのではないだろうか。
 家族を絵画として例えるならば歴史は絵具のようなものだ。家族を構成する各々の人間の歴史という絵の具がキャンパスの上でぐちゃぐちゃに混ざり合い、混乱を極めていく様子が、本作では描かれている。色があればあるほどグロテスクになっていくのは想像に容易い。どの家族もそんな色の混じりで、どのような絵画を描いていくのか…ということを常に問われている。

 

 

《〝家族の呪い〟とはつまり〝役割の呪い〟である》

 本書のテーマの一つは〝家族の呪い〟だと私は解釈している。ここで描かれている〝家族の呪い〟とはすなわち〝役割の呪い〟なのではないか。
 自分の家族(特に両親)が、一人の人間として歴史を持つ存在である、ということを忘れがちなのは、そこに〝父〟または〝母〟などといった役割の名前がついているからだろう。その名前によって、子の中に確実に生まれるのが〝父はいつでも父であってほしい〟、〝母はいつでも母であってほしい〟という願望だ。自然なことに思えるかもしれないが、これはよく考えてみれば、家族を一人の人間として認めない、つまり殺してしまう残酷な願いだ。子は親には親のままでいてほしい、そして、親はこうあるべきという理想像のようなものがあるので、突然彼らが〝人間臭さ〟を見せると、戸惑ったり、拒絶したりする。子がこの世に誕生した瞬間から役割を与えられながらも、例えば弱さや脆さといった、人間である側面を見せてしまい、不快感を露わにされた時の親の感情を想像するとやりきれない。しかし、子の失望というのは、〝大人になるための儀式〟なのではないだろうか。

 

 《疑いない両親への信仰・子が大人になる瞬間・失望の儀式》

帰りたい。あの頃に帰りたい、と思う。

【くるまの娘】より

 作中、かんこが幼少期を思い出して〝あの頃に帰りたい〟と思う気持ちは、私も理解できる。大人になって、良い意味でも悪い意味でも以前よりも様々なものが見えるようになり、足場がぐらぐらと不安定になった今、あの時の湯につかっているような感覚はなかなか恋しい。
 〝あの頃〟というのはつまり、父が父であり、母が母であり、自分が子であった頃。〝両親への信仰〟が揺るぎないものであり、自分が安心して子供でいられた頃のことだ。家族が人間の集まりでなく、役割の集まりであった頃。かんこはそんな日々に帰りたいと言っているのではないかと思う。
 かんこの父は彼女が幼い時から理不尽な暴力や暴言を彼女に与えるが、物語の終盤に〝愛されてこなかった〟という父の歴史を知り、彼の弱さに触れることによって、かんこは父とは〝父〟という役割の存在ではなく、一人の人間であることに気がつく。かんこが自分の父の歴史を知り、信仰が壊れ、そのことによって役割の呪縛から彼を解放する、という印象的な展開である。
 役割とは異なるところで、一人の人間としての親を見て、それに失望し、やがて受け入れるようになった時、子は本当の意味で〝大人〟になるのではないだろうか。そして自分自身も歴史を持つ一人の人間として自立していく。
 あるいは逆も考えられる。子が成長していく過程で、様々な経験をし、そのような人間になっていくから親も同じだと気がつき、失望はあっても、それを少しずつ受け入れていけるようになる。自分も人間であるから、親も人間なのだ、というように。
 どちらが先かということは人によるだろうが、どちらにしろその時に味わう〝失望〟というのは大人になるために必要な儀式といえるだろう。

 

 《ままならない世界で、どうして今日を生きていくか―死んでいないから》

 生きるということは、誰だって苦しい。その人にはその人のつらさや痛みがあり、誰もが自分の人生の〝ままならなさ〟を抱えて生きている。では、そんな中でも今、私やあなたが生き続けているのはどうしてか。著者は本作の終盤で〝生きていることは、死ななかった結果でしかない〟と書く。これは生きる希望や価値があるから…などと言うよりも、真っ当な理由である気がする。私はこの文章が嬉しかった。生きる理由や意味を探している人々に救いの手を差しのべるようなラストだと思う。しかしこの救いは、闇に差し込む〝光〟ではない。同じところまで一緒に深く深く沈んで、その場所で寄り添うような救い。このような救いが、著者の物語にはいつもある。彼女は絶望を描くことにおいて並外れた才能を持っていると思うけれど、私は何よりもこの救いを愛している。

 

 《閉鎖的な絶望の先に見える、ままならない今を生きる理由》

 走る車の中は絶望でいっぱいだ。父の暴力、母の病、兄の逃避に弟の残酷な言葉…。ままならなさという歴史を抱えた、今では個人の集団になってしまった〝家族〟。その呪いの本当の姿をここに見た気がした。どんなにつらくても、苦しくても、日常は続いていく。地獄とはそれ自体ではなく、〝続くこと〟にあると本書に記されているが、現代社会に生きる私たちは皆、そんな地獄に囚われていると思う。著者は本書を通して、それでも今日を生きる意味や理由を、私たちと同じ目線で、そして誰も気がつかなかった視線で、鋭く優しく示してくれている。

 

〇コラム〇

《勝手に評価》
 ★★★★★ 星5つ
 名作中の名作です!文芸誌で読んだ時の興奮が今でも忘れられません。子でしかなかった私が、親も子だったのだなあ…と新境地。誰もが誰かの子である、そして大人になっていく過程で親とどのように折り合いをつけ、〝自分の人生〟へ出発していくか…。良い意味でも悪い意味でも、家族って特別だなあと思いました。
《コレもおすすめ》
「青の炎」貴志祐介
 全ては何よりも大切な〝家族〟を守るため。主人公の少年の心の中で、じりじりと静かに燃え上がっていく怒りの青い炎。赤よりも暗く冷たいその色はいつの間にか彼自身を追いつめていく。罪と罰と家族の崩壊に心が崩壊。最高にかきむしられる、一気読み必至の怒りに支配された少年の虚しい復讐劇。

 

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