『なめらかな世界と、その敵』(読書記録)
早川書房は事あるごとに電子書籍セールをするので、そのたびに積読が増えていく。不思議なことに、財布の中身の減りが早い。おかしい、セールってことは普段より安く買えるということなのにどうして…。
『なめらかな世界と、その敵』に限らず、短編小説は設定や専門用語、固有名詞、人物の出る量が限られるので、脳内記憶が続かない自分にはとても嬉しい。発売当時から相当売れてたし、いまさら感想書いても…ってかんじですが、良い作品を読んだら記憶しておくために感想を残しておいた方がいい。
・なめらかな世界と、その敵
自分が望む世界線の自分に意識を飛ばしてあらゆる可能性の中で生きることができる世界で、事故がキッカケでその能力を失った転校生「厳島マコト」と、その幼馴染の「架橋はづき」を主人公とした青春を感じる友情と友愛の物語。
一文目から「うだるような暑さから目を覚まして、カーテンを開くと、窓から雪景色を見た。」とものすごい状況から始まり、朝食の味噌汁が塩辛かったからイチゴのジャムトーストにかじりついたり、職員室に呼び出されてるあいだに2日後発売のゲームをやったりと、世界線を行き来する様子が文章で書きだされているのでめちゃくちゃ混乱する。
圧倒的ハンデを背負い生きていかないといけない親友の苦悩と、それを知った架橋はづきの取った行動に青春を感じる。いわゆる友愛も含めた百合作品。
・ゼロ年代の臨界点
架空のSF小説の歴史をひも解くレポート形式の短編。客観的な文章で語られる3人の少女の周辺事実から百合成分を感じ取る、という高度な物語。架空の小説や設定と固有名詞が多いので少女の名前と少女たちが執筆した本の名前はメモ取っておいた方が良い。
・美亜羽へ贈る拳銃
こちらは男と女のおはなし。脳科学の研究が発達し、脳にナノマシンを注入して性格や趣向、恋愛感情すらもコントロールできる世界。主人公の神冴実継(かんざえみつぐ)が北条美亜羽(ほうじょうみあは)に殺されかけ、美亜羽に恋して、美亜羽に振られ、美亜羽を愛するようになったお話。
この本はどの短編も面白いけど、これが一番お気に入りかも。主人公の絶妙な器の小ささと小さいなりの決断の仕方が、SF世界の進んだ(あるいは歪んだ)価値観の中で共感できて安心する。
・ホーリーアイアンメイデン
異能の力を持った姉と、その力に畏怖する妹の苦悩を描く姉妹百合SF。妹が姉宛て書いた手紙、という形で語られる。そのため常に妹の感情が文章で吐露されながら進むわけだけど、それがなかなかに重い。姉の異能の力が判明した時の驚き、異能の力によって変わっていく社会への戸惑い、自分もいつその力に影響を受けるかという恐怖、そして、姉を畏怖してしまうことへの後ろめたさ。妹の書き連ねていく言葉は呪詛のようでもあった。
その手紙を読んでいる姉の心情をうかがうことは、我々読者には一切できないのが、この作品の恐ろしい余韻でもある。
・シンギュラリティ・ソヴィエト
1969年、ソヴィエトが開発した人工知能がシンギュラリティに到達したif世界のSF。なかなかに狂った世界観や倫理観、登場人物が読者の脳を破壊しにかかる。なんだよ「警備用レーニン」とか「案内用レーニン」って。家族愛、この場合家族百合でいいのかな…?ラストに色々な謎が分かった時の鳥肌は一番すごかったです。
・ひかりより速く、ゆるやかに
修学旅行の帰りの新幹線が突然、停止しているように見えるほどの速さにしなってしまうお話。そして、主人公はインフルで修学旅行に行けず、その新幹線を外から眺めるしかない少年伏暮速希(ふしぐれはやき)。新幹線がある日とつぜん謎の低速化に陥るという発想がなかなか凄いし、新幹線が止まったことによる社会の混乱や人々も徐々に狂ってく描写がいやに生々しい。恋愛、というか好きな子のために少年が頑張る話なのですが「美亜羽へ贈る拳銃」同様、主人公である少年の器が小さいうえに若干歪んでいるのが、ぎゃくに人間らしくて愛おしい作品。
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あるポイントから現実とは異なる道を歩んだ世界線であっても、ヒトの愛のかたちの芯は意外と変わらないんだなぁとしみじみ思う内容の短編。そうであってほしいという希望も含めて。
収録されてる短編全部面白い本に出会えて大満足です。しかもセールで50%OFF。今月22日までの大型セールなのでとりあえず買って積むのも全然アリ。そういって前回のセールで買って積んである本が何冊もあるけど。
それと伴名練作「彼岸花」を収録の『アステリズムに花束を』と氏が編集をしてる日本SFの臨界点シリーズも良いぞ。