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海のはじまり 第九話
夏と弥生の「恋のおしまい」が描かれ、夏が親になるための「儀式」の回でもあった。
仕事上の取引相手として知り合ったふたりは、迷子になっている子どもをケアすることをきっかけに惹かれあっていく。
このきっかけは、ふたりの関係性を象徴している。
ドラマ的には、例えば車椅子の人をケアするでもいいし、落とし物を拾うでもよかっただろう。
だがここでは「迷子になっている子ども」をケアするというシーンになっている。
迷子になっている子どもを「見つける」のが夏。ただ見つけて声をかけただけで、そのあとどうすればいいか分からずまごつく夏。
その後、交番に連れてゆくなどの実務的な作業を担ったのが弥生である。
この役割の違いも含めて、ふたりのこれからの関係性を示しており、結果的にこの役割の違いを最後まで自覚できなかったことが別れのトリガーになったとも言える。
夏と海、弥生の3人で過ごす時間が、徐々に苦痛に感じていく弥生。
その変化を敏感に感じ取っていく夏。
ふたりの気持ちのすれ違い、同じ状況を違う視点で捉えているふたりの、思い描く未来が離れていく様を、視聴者は感じさせられる。
かつて弥生が堕胎したとき、産婦人科で綴ったノートの言葉は、見ず知らずの水希の心を動かし、水希は海を産む決心をする。
その水希は死ぬ前に「夏の恋人へ」と題した手紙を綴った。
そこにはかつて読んだ産婦人科でのノートの言葉が引用されていた。
「自分で決めてください」
「どちらを選んでもあなたの幸せのためです」
弥生は海の母親になることを選ばなかった。
その決断に至るまでに、かなり揺れ動いていたことを視聴者だけが知っている。
水希からの手紙を読むまでは、海の母親になることが、イコール自分の幸せと思っていた弥生は、ギリギリまで悩んで決断した。
客観的に条件面だけで見れば、悪くはないと見られるだろう。
ちょっと頼りないけど顔は良くて優しい夏と結婚して、聡明でかわいい娘・海がいて、複雑な事情がありながらも幸せに暮らすお手本となる夏のステップファミリーがいて。
申し分ない、とまでは言えないが、悪くはない未来を見ることもできただろう。
だが、弥生は別れる決断をした。
「弥生自身が自分の気持ちに正直に考えた結果」として受け止める以外に視聴者にできることはないのかもしれない。
一方で、夏の立場ではどうだろうか。
恋人とうまくいっている最中、ある日突然、かつての恋人の葬式に呼ばれ、堕したと思っていた子どもを産んでいたことを知らされる。その子どもはもう7歳になる。認知して父親として生きていくかを迫られる。
客観的に見ても夏本人としても「面倒なことになった」と感じたのは自然な感情で、そのままの言葉で心情を吐露するシーンもあった。
「面倒なことになった」の内訳は、もっと弥生とふたりの時間を過ごしたかった、といえば綺麗な言葉だが、オブラートを剥がした言い方をすると、もっと弥生に世話をして欲しかった、ということと同義だろう。
他者の意向に沿う性格は裏返せば他人に依存しているとも言える。
生活のあらゆる場面での「決断」を弥生任せにしている方がラクなのだ。
そういう居心地のいい環境をずっと維持したいというのが夏の本音だったのだろう。
「居心地のいい」環境が男性にはすんなりと手に入りやすい現代という時代は、どれほどの女性からの「搾取」によって成り立っていたか。
また、女性にとって「母親になることは幸せなこと」「誰かのお世話をすることが最高のやりがい」のように「思わされてきた」か。
このドラマはそれらこれまでタブー視されてきたものにメスを入れる。
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未練がましく駅まで送るという夏。
弥生は手を繋ぎ、その気持ちを受け入れる。
終電までが今日、という都市に暮らす恋愛特有のシチュエーション。
弥生からの最後の別れの言葉は「頑張れ。パパ頑張れ」
これ以上ないくらいに、決定的な「もうこれ以上はない」別れの言葉であり、同時に弥生が「外野」へ身を引いた言葉。
いや「外野」どころか、頑張れと応援する姿勢は「外野」の奥「スタンド席」から見守るスタンスの表明だ。
もう、弥生はプレイヤーではないのだ。
子育てというグラウンドにひとり残された夏は、泣きながら立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。
まだ試合は始まったばかり。
ボールを投げて、打って、捕って、走らなければならない。
これが、結果的に「親になる」ことの「儀式」だったのだろう。
誰の手も借りず、ひとりになっても、この子を守るという「覚悟」が子育てには必要なのだ。
現実には多くの周りの人たちの協力がなければままならないのが子育ての現実だが、その前に「覚悟」ができていないといけない。
本ドラマは全12話ということが発表されている。
残り3話で、ようやく子育ての「現実」に向き合うことになるのだろうか。