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好きになったらどこまでも

冒頭に、今回は箸休めということで、ご容赦くださいね。(笑)

私が読書や物書きに興味を持ち始め、実際本格的にそれらを始動したのが2019年の夏頃でした。

コロナ前で世間は今よりもっと浮き足だっていたようで、ある種の幻想に包まれていたように振り返ります。

かくゆう私も占い師としてバリバリ活動していた時代でした。

大阪を拠点に占い師のコミュニティを立ち上げたり、東京に遠征し、同士たちと更なる発展に向け、かなり精力的に動いていました。

そんなハードワーキンな中、自身の棚卸し的なものを残したいと、自伝的プロフィールをそのまま残すのは脳がないと思い、自身の経験をブラッシュアップした創作を発表しました。

彼此2年ほどカドブンの電子書籍で販売していましたが、推敲ミスがいくつか見つかり、今は絶版にしています。

その時は、小説家になろうなど思いもしなかった。占い師、又はカウンセラー、それらを統括する立ち位置でコミュニティを広げていく野望の方が強かったからです。

しかしその翌年2020年のコロナによって、完全に潮目が変わりました。
経済がストップし、ステイホームが義務付けられ、人間本来の生き方を誰もが問われた時代だった、そんなような気がします。

私もあの時何度も自問自答したことを覚えています。

"人から求められていることで、それを売りにできることをやっていくべきだ。"
この考え方はとても真っ当だと思う反面、私はかなり反発したのです。

つまり私自身、求められていることが、やりたいことではなくなってしまったのです。

コロナ期間、読書好きの次女に薦められ、私は本を読むことにハマりまくりました。前年の初の創作活動もあったので、私は時間があればとにかく本を読みまくりました。

読んでいると、そのストーリーに感銘を受けるとともに、ものすごい書きたい衝動に駆られました。
人を描きたい、シーンを描きたい、人に喜んでもらいたい、誰かの役に立ちたい、自分の妄想や想像力を活かしたい。
つまり占いやカウンセラーでやってきたことや、学生時代や新社会人以降すべての人生経験がここに繋がっているのだと、点と点が繋がったのです。

あとこれは余談ですが、占いやカウンセリングマンツーマンセッションは結構疲れるのです。相手のエネルギーをまともにもらってしまうことも多々あります。

しかし本の書き手と読み手が直接エネルギーに触れることはなく、間接的な距離感がちょうどよかったのです。

また若かりし頃、ステージで歌ったり、舞台で芝居をやったり、私は表現者の方が性に合ってるのだと改めて実感しました。

根っからの飽き性が短所ではありますが、妄想と想像力が尽きないことは、創作には逆に追い風になったのです。

世間的にはかなり遅咲きではありますが、私は今、五十代で人生を心から楽しんでいます。本を読む幸せと小説を書けることに、多大なる至福を得ています。

仮に私が死んだ時、ここに残している小説たちが、読んでくれた方の心の中に残ると思うと、それだけで充分やり遂げた感があります。

自分の家族は、まだどの作品も読んでいませんが、あいつはこんな小説を作っていたのかと、遺書がわりとして受け取ってくれたらいいなという思いで、日々活動してます。

何だか暗くなってすみませんね、五十過ぎるとね、否が応でも死を意識するんですよ。(笑)

本題から脱線してダラダラとほんとすみません。

そろそろ無理くりにまとめますが、やっぱり好きをとことん貫くことが一番いいと思います。

もちろん人に強要はしません。私の個人的見解です。

私は死ぬまで読みますし書きます。
あと聞きますし歌います。
あと愛するし愛されたい
かも…。

#エッセイ  #眠れない夜のために #小説 

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