人間の羽化について

(注意:虫についての記述があります。苦手な人はページを閉じて!)




 どこまでいっても、23歳である。中途半端で、形になっていなくて、どろどろしている、さなぎの時期である。うまく羽化するには、じっとすることも必要なのかもしれない。
 小学生の頃、花壇の掃除当番になった時、羽化できなかったさなぎを見たのを思い出す。また、いつしか、蝶になれなかったいもむしが、コンクリートの隅にいたのを思い出す。羽化できなかったいもむしを見ると、かなしいというか、なんとも言えない気持ちになる。目を逸らしたいが、見たくなる。それはかつて生きていたが、今は圧倒的に、どうしようもなく、物になってしまった。そこにいてほしくない物、しかし気になってしまう物。
 このように書いている中で、私は私に「うまく羽化したい」という欲望があることに気付く。できかけてきた組織が壊れないように、大事に大事にして、私はじっとしている。翅はまだ、広げられるほどは、完成していないのだ。…しかし、ここまで考えたが、そもそも人間は、いもむしじゃなかった!
 人間のさなぎは、どうしたらいいのだろうか。私は、アパートの一室という殻、布団という殻、私という殻、たくさんの殻をもっていて、その中で随分じっとしている。怠け切った身体は、羽化できるほどのエネルギーを貯めていない。外に出て、太陽の光を浴びようか。もうすぐ、春が来てしまう。
 


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