夫婦でおへんろを歩くと けんかになりませんか?
めおとへんろのすすめ ~夫(わたし)のへんろエッセイ~
「ご夫妻でへんろ歩きをすると、けんかになって、長続きしないと聞きますが、お宅ではどうなんですか?」とよく聞かれます。
たいがいの場合、夫の方が歩くのが早く、奥さんが追いつくのが大変で、「早く来い」「なんで待ってくれないの」とけんかになり、結局止めてしまう、というのです。
そこで今回は、カミさんとわたしのへんろが続いている要素を抽出してみます。
要素①カミさんの方が体力がある
カミさんは、高校陸上部では中距離走選手、学生時代はワンゲルで百名山をガンガン登り、結婚してからは一時期マラソンに打ち込んでいたり…。
それに引き換え、わたしは、高校では主に帰宅部、大学では探検部(軟弱?なため なぜか文科系サークル扱いだった)、そして社会人になってからは運動らしい運動をせず、挙句の果てには椎間板ヘルニアも持っている…ということで、脚力はまったくカミさんの足元にも及びません。
かつての日本では、妻は三歩下がって夫についていくという風潮があったようですが、うちの場合、それぞれが自分のペースで歩くと、わたしがカミさんより、毎分三十歩くらい 引き離されてもおかしくありません。
カミさんは、その余裕時間を使い、沿道の草花や風景、わたしの歩いている姿などを写真に収めながら歩きます。テレビの山番組を見ていると、画面に映っている人より、絶対 カメラマンの方が脚力あるんだろうな、といつも思います。
要素②カミさんが寛大で辛抱強く力持ち
かといって、相対的歩行能力弱者のわたしに「早く歩きなよ」とは、カミさんは決して言いません。また、トイレが近いわたしが、たびたび個室に長時間こもったりしても、気長に待ってくれるのには感謝しています。
おむすびや果物などの食料、行動食なども、カミさんが全部背負ってくれます。計ったことはありませんが、カミさんのリュックは わたしのリュックの倍は重さがあると思います。
足摺岬からの打ち戻りを歩いている時、わたしの足が言うことを聞かなくなり、文字通り足摺状態になった際、カミさんがわたしのリュックを抱えて歩いてくれたこともありました。
要素③わたしもそれなりに貢献している
①②からすると、まったくカミさんにおんぶにだっこ と思われてしまうかもしれませんが、一応、わたしにも役割があります。
この日は、自宅を何時に出る、どこからどこまで 何時頃から何時頃まで歩く、前後のアクセスや宿泊先はこうする、といった、プランニングや手配をわたしがやります。相対的歩行能力弱者のわたしのプランなので、当然、カミさんにとってはまったく余裕の行程になります。
そして当日は、わたしが、進行距離・時間・地図・天候・カミさんの腹の虫の様子などを見ながら、休憩や食事を入れるタイミングや場所などの判断をします。空が暗くなって嵐が来そうになったり、カミさんのお腹が鳴って不機嫌そうになったら、そろそろ休み時です。
要素④普段とは違う会話で、相互理解が深まる。
普段の会話はどうしても、「パン食べる?」「買い物行ってくる」「ハガキ出しといて」「仕事何時から?」「録画見た?」「晩ごはんどうする?」「お風呂早く入って」…など、生活のルーティンに即したものが大半を占めることになります。
一方、おへんろ歩きをしていると、寺院や教会はもとより、沿道の景色、山川草木、動植物、老若男女の人々、様々な商業施設や建造物、観光スポットなどを、目にすることで、自然と会話の幅が生まれます。また、淡々と歩く時間の中で、ふと気づいたこと、考えたこと、思い出したこと、なども口をついて出ます。へんろ中の会話で、お互いの考えや思いに多く触れることになります。
また、長時間、自然とお互いに行動を観察することにもなるので、言葉に出さなくても、気持ちが通じる部分も増えているのではないかと思います。
そんなこんなで…
それぞれの得意を生かした役割分担と相互理解で、けんかにならずに、めおとへんろは長続きしているように感じます。
振り返れば、結婚して30年、結婚以前の期間より長くなりました。山あり谷ありの旅路、互いに助け合い、思いやったり、時には譲り合ったり…。
結婚生活もへんろも、長続きの要素は同じなのかもしれません。