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枇杷の木


私の住むマンションの部屋でお気に入りの場所と言えば、ベランダである。

朝起きて窓を開け、天気を確認する。
鉢植えに水をやり、深呼吸。
仕事が休みの日はベランダに座ってしばしぼおっとする。
南向きのベランダには斜めから朝日が差し込む。
朝の空気が心地よい。

10月になってもまだ朝顔の花がたくさん咲いている。
ユウガオもまだまだツルを伸ばす。
夏の暑さで元気がなかったカランコエは、秋になって新芽を出し始めた。

三年前に種から芽が出たアボカドはぐんぐん大きくなって、ベランダの天井に届きそうで困っている。
20代のころ、伊豆のシャボテン公園で買ってきた細長くて棘がびっしりついたサボテンは高さ50㎝ほどにもなった。

植物の旺盛な生命力にはいつも驚かされる。


🔹🔹🔹


ベランダの道を挟んで向かい側に、昭和中期に建てられたと思しき大きな家がある。
その家の玄関の横には枇杷の木があって、ベランダに腰かけているとちょうどその木が目に入ってくる。

枇杷の木は春になるとぐんぐん枝葉を伸ばし、薄緑色の葉っぱが上に向かっていっぱいに広がっていく。やがて季節が移ろい、花が咲き、オレンジ色の実がなる。
枇杷の木の真上には電線が通っていて、伸びすぎた枝がそれを覆ってしまう。すると植木屋がやってきて枇杷の木を丸坊主みたいに短く刈る。それでも、次の年にはまたぐんぐんと枝葉が伸びて、電線を覆ってしまうのだ。

春夏秋冬。毎年、その繰り返しだった。

10月に入ってすぐのある日、ベランダに出ると違和感を感じた。
枇杷の木が無い。

家の壁がやけに白く見えて、あれ、今までここにはいつも緑の葉っぱが茂っていたのにと思う。
ベランダから乗り出して見ると、枇杷の木は地面から10㎝くらいのところで切られていた。断面は海に浮かぶ島のようないびつな形をしている。
これではもう枝葉を伸ばすことはできまい。

この部屋に越してきてからというもの、ベランダに出てまず私が見るのは枇杷の木だった。

枇杷の木の葉っぱが太陽に照らされてつやつやと光っている日は気持ちがよい。
枝葉がざわざわと揺れていると今日は風が強いなと思う。
雨に濡れている日は少しけだるい。
枇杷の木に薄緑の新芽が伸びていたり花や実が付いている様子を見て、知らず知らず季節を感じていた。
時々鳥がやってきて、楽しそうに枝から枝へ飛び移ってさえずっていたり、実をつついたり、そんな様子がとても好きだった。

枇杷の木はあって当たり前の私の日常だった。
無くなってからそんなことに気づく。







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